新宿・紀伊國屋書店ビルに入っていたブティック「レネ」

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私が中高生時代の1970年代後半は、私がみぢんも好きにはなれないファッションが大流行していた。
中学生の時はニュートラ、高校生になったらサーファーとハマトラ。
決して大げさな表現ではなく、若い女性に石を投げたらそのいずれかのファッションの人に当たる、というほどに、それはもぅ大大大流行していた。

自分の思春期青春期に自分の大嫌いなファッションが流行しているほど不自由な事はなく、それらと真逆な方向性で、かつ誰も身に着けていない様なファッションアイテムを探すのは、ネットもなかった当時は非常に困難で、私は、都内の繁華街という繁華街を歩き回り、「ここにもない」「ここにもない」と、探しあぐねた。

とーーー
毎日、足を棒の様にして探せば、アンチ流行のファッションを売っている店というものも存在してくれているのに出逢えるもので、原宿のアンティーク風に作られた服を売るインディーズブランド店と、同じく原宿の古着屋数店、そして、新宿の紀伊國屋書店ビルの1階に入っていた「レネ」というブティックがそれで、私は、砂漠で水にありつけた駱駝さながらに安堵に包まれた。

原宿の店店は、学校帰りにゆっくり物色するには帰りが遅くなってしまうので、日曜日に通う事にして、新宿なら学校から近く出やすかったので、私は学校帰りにしょっちゅうレネに立ち寄り、何点もの服やアクセサリーを求めた。
あまりに頻繁に訪れるので、レネのお姉さん達に顔を覚えられ、「また来てくれたのね!」と、よく声を飛ばされたものである。

レネは、インディーズブランドが何ブランドも入っている複合ブティックだった。
複合ブティックといっても、間仕切りや衝立はなく、なんとなく幾つもの島があり、テイストが違うからここからは別のブランドなのね、と判る感じだった。
売られているブランドの方向性はーーー
アンダーグラウンド、ロック系、後染め(仕立ててから染める製法)のアンティーク風などだった。

私が購入したものの中で憶えているのはーーー
漆黒のくるぶしまでの丈の十二段くらいのティアードの巻きスカート、バロッキー(指輪と腕輪が手の甲でつながっているアクセサリー)、後染めのくすんだ紫色のガーゼのように薄くふんわりゆったりとしたレースのブラウス、などなどだった。

学校も部活も少しも楽しくなかったし、友達はいるにはいたけど、心を開けたり心底話しの合う子もいなかったので、私は終学のベルが鳴るや、レネへ一直線!という日が殆どだった。

レネは、「ここに来れば欲しい服やアクセサリーがある!」というのみならず、当時の私の精神のオアシスでもあったのだ。
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この記事へのコメント

  • Take-Zee

    おはようございます!
    まったくファッションに疎いです。
    ハマトラの言葉は知っています、浜っこです!
    2024年08月28日 07:12
  • kazukun2626

    ファッションにはず~と
    疎いです(笑)
    2024年08月28日 07:50
  • mayu

    昔はブティックのはしごをしてましたね。
    好きなブランドに、こだわったりもしていました(*^_^*)
    2024年08月28日 08:10
  • 青い森のヨッチン

    自分はファッションには本当に若いころから疎いのですが
    若いころからファッションに関心を寄せている人は
    年齢を重ねてもファッションへの情熱が覚めない人が多いような気がします。
    逆に年齢を重ねてからファッションに目覚めたという人はあまり知らないから若い頃の素養が影響するんだなぁと思っています。
    2024年08月28日 10:33
  • hana2024

    ぼんぼちさんの書かれている。決して好きになれないとの、ニュートラとハマトラの思いでが沢山あります。
    新宿伊勢丹が好きで、買い物以外でもよく行っていました。
    ニュートラは、背の低い日本人には似合うと思っていました。
    2024年08月28日 11:22
  • わたし

    わたしが高校生の頃、制服のスカートは足首まであるのが流行っていました。
    でもわたしは足だけは自慢だったので、膝が見えるほどに短くして履いていました。同じ考えの親友と2人で(^-^)今の高校生ほどではないですが
    2024年08月28日 12:01
  • Rchoose19

    まぁず、自分は着るものとかには無頓着で・・・
    しかも流行りものにも無頓着だし・・・・^^;
    洋服は家の並びにあった、水商売のおねいさん御用達のお店で
    ほっとんど間に合わせていました^^;
    記事の写真なんですけど、上下反転させてるだけですか?
    上のほうのは、お洋服っぽくて
    下のほうのは、花束っぽく見えます♪
    緑が下だと何となく葉っぱっぽいのかなぁ~(#^^#)
    2024年08月28日 12:38
  • ミケシマ

    ハマトラ、調べてみました。
    うーん、これはぼんぼちさんは着られないだろうなぁ(;^ω^)
    ぼんぼちさんが学生の頃に買われたアイテムは、ぼんぼちさんらしくて素敵だなって思います(*^^*)
    2024年08月28日 12:52
  • NO14Ruggerman

    ハマトラ…とても懐かしいフレーズ
    没個性の象徴のようなイメージですが
    当時のわたしには眩しかったです。
    2024年08月28日 14:02
  • ムサシママ

    中高生時代に自己の確率が出来ていて素晴らしいと思いました
    流行りのファッションに流されて当たり前と言う時代に既に自分の方向性を見つけられたことが羨ましいです
    ニュートラ、サーファーは私も受け入れられず自分なりのお洒落を楽しんでいました
    一番嫌いだったのは聖子ちゃんカットです
    その当時はストレートのロングでした
    2024年08月28日 15:45
  • たいちさん

    乾いている時には、オアシスが必要ですね。
    2024年08月28日 15:54
  • 八犬伝

    レネへ一直線ですか
    わかるような気がするな。
    確かに、右を向いても左を向いても
    同じような恰好や髪型をしてる女の子たちが多かったですね。
    2024年08月28日 16:10
  • sakamono

    お店の人と顔なじみになるのも、楽しいですよね。
    紀伊国屋書店のビルには、今でもちょっとおもしろいお店が
    ありますね。鉱石を扱ってる店とか、タバコ用具の店とか^^;。
    2024年08月28日 16:44
  • フヂ

    流行のファッションって、本当に好きで
    身に着けている人はどれくらいいるのかな。
    流行っているから着るのは、本末転倒。
    自分が気持ち良い服が一番です。
    2024年08月28日 16:56
  • sara-papa

    ファッションには無頓着でしたねぇ♪
    ちなみに今もですが...
    山が好きで山や系のブランドを着るくらいかな?
    高校生の時代はとにかくバイクにバイト代つぎ込んでいましたから、ファッションなんかに気を使っていた奴いなかったっけ!^^;
    2024年08月28日 17:15
  • 溺愛猫的女人

    田舎で育ったのでファッション雑誌に載ってるオシャレな服は着ている人も、取り扱ってるお店もありませんでした。
    お江戸に出てきてから一時期、山本寛斎さんの服が好きでした。
    ぼんぼちぼちぼちさんはお好きなファッションを、上手に着こなせていてとても憧れます!
    2024年08月28日 18:11
  • sana

    ニュートラ、サーファー、ハマトラに悩まされたのですね。
    どれも知ってはいますが、そんなに流行っていたという印象がありません。高校までは私服で出かける機会が少なく、自分で着るよりファッション誌(作る方や服飾史やパリコレの)を見る方が忙しかった。それ以降は私の周りの友達はみんなてんでに好き勝手な格好をしていたから。
    ごく普通の格好をしている子の中には、トラッドに分類される人もいたのでしょうが、普通としか思ってなかったのかな。
    私は膝丈スカートにブレザーって似合わないんです。体型が変わってるから、当時はサイズがぴったりのも少なくて。
    似合う服を探すのは至難の業で、親にワンピースを縫ってもらったぐらい。どうしても欲しい時には新宿と渋谷の大きな店を全部回って、やっと1着見つけたのを喜々として買いました。
    服のサイズや種類が増えて、探しやすくなったのはありがたいです。
    十二段の黒の巻きスカートにくすんだ紫色のレースのブラウスって素敵だわ! 好みを満たしてくれるお店が見つかって、本当に良かったですね^^
    2024年08月28日 18:19
  • yoko-minato

    自分の好みの洋服があるお店を探して
    いつも帰りに寄っていたとのこと。
    素敵ですね。
    私は若いころは東京のアパート暮らし
    給料の半分が部屋代でした。
    でも今思うと楽しい思い出ですけどね。
    好きな洋服探しをして見たかったです。
    2024年08月28日 18:41
  • KINYAN

    お気に入りのお店があると安心ですよね(^o^)
    2024年08月28日 18:44
  • Rifle

    田舎でしたから、ファッションは雑誌の中だけの話でしたねー。
    しかも服に無頓着で近くのユニーなどでテキトーに買ってました。
    ただ、自転車通学で足が太かった為GパンだけはわざわざLeeを置いてるお店に行きましたっけ。
    その後バイクに乗るようになってからは、もっぱら革ジャンばかりです。
    2024年08月28日 18:46
  • JUNKO

    精神のオアシスですか。そんなところがあるのはいいですね。
    2024年08月28日 20:11
  • つぐみ

    かつては流行のファッションといえばそればっかり、という感じでしたね。
    お気に入りのお店を探してみつかったときは嬉しかったことでしょう。「精神のオアシス」なるほどです。
    2024年08月28日 20:13
  • MASARU

    当時、紀伊國屋書店はエスカレーターで二階へ直行してたので一階にブティックがあったとは気づきませんでした。
    紀伊國屋は今も東京行った時は必ず寄りますけどフロアも変わりました。
    高島屋の渡り通路を抜けた先のビルに紀伊國屋書店南新宿店てありましたが一階がコミック売り場、洋書も充実してて自分には紀伊國屋書店と云えばかつてあったあの書店を思い出します。
    2024年08月28日 20:24
  • ヨッシーパパ

    私は、高校時代には、神田の紀伊國屋によく行っていました。
    2024年08月28日 20:39
  • ごま大福@まろ

    ニュートラ、サーファー、田舎だと流行りのものしか無かったです。
    古着屋、セレクトショップ、存在すら知らなかったです>
    2024年08月28日 20:49
  • HOLDON

    普通は流れに着いていく人が多い・・・
    貴女は頑固なほど純粋なんだね~~~
    2024年08月28日 20:49
  • kiyotan

    そういえばニュートラとかすごく流行ってましたね
    プリーツスカートよく履いてた。
    ぼんぼちさんの行きつけのお店
    紀伊國屋の一階にそういえばあったね
    多分行ったことあるような気がする
    2024年08月28日 21:37
  • ChatBleu

    中学・高校の頃は、制服だったし、洋服を買いに出かけるってなかなかなかったなぁ。ましてや学校帰りに寄れるとは、さすが東京。
    私も流行りの物が苦手でしたが、かといって何が良いかわからずにいたな。
    2024年08月28日 22:00
  • mau

    好みのお店に巡り会えると嬉しいですね
    数年経って方向性が変わって好みから外れた時は困っちゃうのですが、セレクトショップなら他のブランドでも探せそう
    2024年08月29日 00:35
  • Ja-Kou66

    今でも、その年その年によって
    概ね系統が似たような服ばかり並んでいる気がします。
    先駆けて流行りを決めて売るみたいな感じが嫌だなぁと。。
    いわゆる「流行り物」だと、街ですれ違う数人と全く同じ格好をしていたりして(笑)
    2024年08月29日 01:10
  • yamatonosuke

    学校帰りに新宿とはナウいです~
    私はせいぜいドムドム止まり(笑)
    2024年08月29日 01:27
  • lequiche

    ニュートラやハマトラは特定の発信源があったわけでなく、
    市井からの流行を雑誌がとりあげたという点で
    特異な流行だったといえます。
    でも実際には有名ブランドの掛け合わせに過ぎなくて
    ファッションとしてのクォリティは低いです。
    いわば冬の時代ですね。
    もっともここ数年の流行も真冬の時代ですが。
    2024年08月29日 02:46
  • 英ちゃん

    私もファッションには疎いです(^_^;)
    2024年08月29日 03:14
  • 猫の友 メルティー

    服飾のことは疎いですが、まわりに流されずに自分の個性を大事にする姿勢は大切ですね。何事にも通じて。。。
    2024年08月29日 06:40
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    さっそくたくさんのコメントを、ありがとうございやす。
    先ず、記事に、ニュートラ、サーファー、ハマトラが大嫌いだと書いてありやすが、「大嫌い」なだけで、別に否定はしてないんでやすよ。
    自分は自分は、人様は人様、それぞれ信念を貫いた格好をすればいい。
    まあ、流行と自分の信念がバチコーンと一致しちゃうなんて、宝くじに当たるくらいに幸運な人なんだな、と思いやすが。

    あっしは中高が美術学校だったからだと思うんでやすが、クラスのほぼ全員が、世界で唯一無二の自分だけのファッションを持ってやしたね。
    クラス50人中殆どが自分を確立したファッションで、あとの2人くらいが、流行り物好きな人でやした。
    なので、これは決して、いじめたり仲間はずれにしたりしてた訳ではないんでやすが、「どうして流行り物着るんだろうね?似たような格好の人と街ですれ違っちゃうじゃん。理解できないよね。不思議な人だよね」って言ってやした。

    で、あっしは、流行を追う人の心理がずーっと解らなくて、40才になった時に、演技のレッスンの研究所に趣味で通ってたんでやすが、そこで一緒だった30才の女性が、それはもう流行モノ大好きで、だからある時、聞いてみたんでやすよ。
    「どうして流行ってる、多くの人と同じ格好をするの?」って。
    そしたら彼女は、「私は自分に自信がないから、砂ぞこのカレイになりたいんです。街で少しでも目立たずに埋もれていたいんです」って答えたんでやすよ。
    あっしは、「なるほど〜!それはもっともな、理にかなった理由だ!」と頷きやしたね。
    尤も、流行を追う人のすべてが、彼女と同じ理由ではないかも知れやせんが。
    彼女のように、砂ぞこのカレイになりたくて流行を追うなら解りやすが、お洒落さんになりたくて流行を追う、というのは、間違いでやすね。
    稀に宝くじに当たるくらいの確率で、誰よりもその人に似合うものが流行ることがあるかも知れやせんが、流行るもの流行るものが次々と似合っちゃう人なんて、モデルだってそうそういやせん。

    そう、80年代後半はファッションは冬の時代でやしたね。
    今また冬というの、解りやす。
    今売られてる服の多くは、生地も縫製も安く上げるために良くないものが殆ど。
    だから、古着を買うか、古着じゃなかったら、ある程度のお値段出す覚悟で品質のいいものを買うのが賢いお洒落の方法でやすね。

    話しを、あっしの中高生時代に戻すと、ネットのない時代は足で探すしかなかったわけで、記事に挙げた店店が見つかるまでは、それはもぅ苦しかったでやす。
    ファッションに拘りのないかたは、何を着てもどうってことない気持ちなのでやしょうけど、あっしは、物心ついた時から身に着けるものでアイデンティティを確立している人間。
    せっかく、囚人服のような制服を脱いで好きな服を着られる時間、好きな服が世の中に売られてないほどの辛さはありやせん。
    見つけた時は、大袈裟な例えじゃなく、オアシスを見つけた!と思いやしたね。

    紀伊國屋書店ビルには、パイプとシガーの店や鉱石の店は、今でも入ってて、面白いでやすね。

    口絵的に付けた画像は、そう、上下逆さまにしてやす。
    花いっぱいの写真の新聞入れを撮ったものでやす。
    2024年08月29日 08:22
  • marimo

    同じ写真でも天地が逆転するだけで雰囲気が変わりますね。
    私は下にある写真の方が好みです♡
    うううぅ思いっきりハマトラ、サーファーファッションに
    身を包んでいた世代です( ̄▽ ̄;)
    2024年08月29日 09:11
  • トモミ

    (↑)実際に着てたかはともかくとして、私も「世代」です(笑)!!
    2024年08月29日 09:18
  • naonao

    私も無頓着でファッションには疎いです(^o^;
    2024年08月29日 10:28
  • mm

    こんばんは^^
     わたくしの子供のころはブティックなどと言うものは無かったですねぇ~学校と家の往復の毎日。
    2024年08月29日 18:36
  • かずい

    思春期に自分のスタイルを探し求めた経験、共感します。紀伊國屋書店ビルの「レネ」が精神のオアシスだったというエピソード、勉強になります。
    2024年08月29日 19:34
  • せつこ

    田舎なので何もなかった時代です。
    決められた制服を着て往復、地味な時代でした。
    2024年08月29日 20:34
  • リンさん

    確かに、駅のホームにはハマトラ、ニュートラの女子大生がいっぱいいました。地方にも専門店があるくらい流行ってましたね。
    私はそこまで興味がなかったかな。
    「レネ」は、ぼんぼちさんのオアシスだったんですね。
    そんなお店があって、本当に良かった^^
    2024年08月29日 21:19
  • gardenwalker

    こんばんは
    ニュートラ、ハマトラ懐かしいですね
    私もその世代の端くれです
    サザンのミスブランニューデイはその辺を皮肉った歌でしたね(確か)
    2024年08月29日 22:10
  • kuwachan

    ニュートラにハマトラ、サーファー懐かしいです。
    町中に溢れていましたね。
    2024年08月29日 22:37
  • みち

    ぼんぼちさんは学生の時からファッションに拘っていたのですね。
    ニュートラ、サーファー、ハマトラ懐かしいです。私は母の手作り服を
    着ていたので、流行服を着ている友達が羨ましかったです^^;
    その後のDCブランドが流行った頃は自分のお金が出来たので
    セールによく行きました^^
    2024年08月29日 22:49
  • なかちゃん

    当時の私の精神のオアシス、ボクにとっては富山駅前にあった喫茶店かもしれません ^^
    日参とまでは言えないけれど、結構な頻度でいってたような気がします(^^)
    2024年08月30日 06:32
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    70年代後半は、ほんとにニュートラ、サーファー、ハマトラが流行ってやしたね〜
    それらの流行りにハマれたかた、ご自分の嗜好と流行がピッタリ合って、とても運が良かったでやすね!
    そういう方向性の店はいっぱいあったし、ファッション誌も出てたし、とても生きやすかったのではないでやしょうか?
    また、ファッションには無頓着だったというかたも、、、

    あっしがファッションに拘りを持ちはじめたのって物心ついた時からで、
    でも、小学校を卒業するまでは、親が決めた服を嫌嫌着てやした。まだ自分で買いに出ることが許されなかったので。
    親が決めた服を着なければならないのは、とても苦しかったでやす。
    で、中学になったら、好きな服が買える家庭環境になったので、お金を持って勇んでブティックやデパート巡りをして、、、あっし好みの服が売られてないことに愕然として、、、
    でも、だったら別の事でアイデンティティを確立できるかというと、あっしはファッションでないとダメで、探して探して探しまくったら、記事に挙げた数店の店で、あっし好みの服を扱ってくれてて、やっと精神的に生きてゆけるようになった、というわけでやす。

    みちさんはお母様が服を作ってくださつてたとのこと、あっしからしたら羨ましいでやす!
    あっしだったら、スタイル画を描いて、「こういう生地でこういうデザインの服を作って!」と注文してたところでやす。

    サザンの歌に、ニュートラ、サーファー、ハマトラを皮肉った歌があるのでやすね。
    あっしはサザンには少しも興味がないので、まるで知りやせんでやした。
    だけどサザンのファンの女の子達って、それらの服をまとった、いわゆる多数派の子達じゃなかったのかな?
    サザン自体が、世の中の多数派の人狙いで仕事をしているように思うのでやすが、、、

    なかちゃんさんは、喫茶店が心のオアシスだったのでやすね。
    世の中に喫茶店、あって救われやしたね。今、前向きに生きておられるのも、喫茶店のおかげなのでやしょうね。
    あっしも、喫茶店も、オアシスのひとつでやしたよ。
    新宿なら、青蛾や高野フルーツパーラーによく行ってやした。

    学校と家との往復だったというかたは、それで精神的に平気だったのでやしょうか?
    いえ、平気だったら、何よりなんでやすが。
    あっしだったら、気が狂ってたと思いやす。
    学校も家庭も嫌な場所で、放課後や日曜日に、お気に入りのブティック行って喫茶店行って夕飯食べて、それからなるべく遅くなってから家に帰る。
    レネをはじめとするブティックと喫茶店がなかったら、思春期のぼんぼちは、まじ、心が飢えて気が狂っていたと思いやす。

    あと、ファッションに拘りがなかったというかたがたは、中高時代、友達と学校以外の話しは、どんな話しをしていたんでやしょか?
    あっしらはファッションの話ししかした事がありやせん。
    ファッションの方向性は百人百色でやしたが、休み時間の話題といえばファッション以外には考えられやせんでやした。
    みんなファッションでアイデンティティを確立してた学校なので。
    2024年08月30日 08:50
  • ぼんぼちぼちぼち

    あ、画像は、上のが天地をひっくり返したものでやす。
    下が元のでやす。
    やはり元のほうが、落ち着いて感じられやすね!
    2024年08月30日 08:52
  • JUNKO

    中高時代からファッションに関心を持っていたのですね。早くからそういうものに目覚めていたのがその後のぼんぼちさんの道を開いたのですね。
    2024年08月30日 11:23
  • ぼんぼちぼちぼち

    JUNKOさん

    ファッションに関心を持っていたのは、物心ついた時からでやすね。
    絵本のドレスで、どの色合い・デザインのドレスが自分好みか、順位をつけてやした。
    だけど小6までは母親が決めた服を着なければならなくて、ものすごく辛かったでやす。心が呼吸困難になってた感じでやす。
    で、やっと、中学に入って、自分の好きなファッションが出来る環境になりやした。
    好みはすでにハッキリしていたので、中高の6年間で、自分に何が似合うかを、把握しきったといったところでやすね。
    2024年08月30日 14:29
  • ぼんぼちぼちぼち

    あ、一度目のコメント返しの欄で、「80年代後半はファッションは冬の時代」と書いてしまいやしたが、「70年代後半は冬の時代」の入力間違いでやす。
    80年代後半は、DCブランドブームがあったりと百花繚乱で、なかなか面白かった時代でやした。
    2024年08月30日 14:34
  • Inatimy

    凄いですね、早くから敏感にファッションの流れを察知され、ご自身の好みをわかっておられて、自分なりの着こなしをなさってたとは♪
    ずっと制服だったし、校則も厳しいところだったので着崩しもできず、
    寄り道もできず、学校と家の往復だったので、大学生になった時に何を着ればいいのかわからなくてものすごく困りました^^;。
    2024年08月30日 17:19
  • ぼんぼちぼちぼち

    inatimyさん

    んー、世間一般からいうと早いのかな、、、学友達も殆どがそうだったので、当時はあっしらが普通で、流行りの格好してるよその学校の女の子達が特殊だと思ってやした。その年代って、自分が基準なとこがあるので。
    そうでやすね、制服の改造とか出来ない中高に行ってた人は、リメイクとかも難しいでやしょうし、ぽんと私服の世界に放り出された時、何を着ていいのか解らなくなってしまうのでやしょうね。
    2024年08月30日 17:43
  • ぷち

    私も昔雑誌を見て気に入った服があれば、お店に電話して、
    このお店がまずどこらへんにあるのかから聞いて、
    やりとりしてたことがあります。
    店員さんにも覚えられて、自分の好きな服やアクセサリーが必ずあって、
    最高のお店ですね。
    2024年08月30日 19:36
  • かずい

    自分の好みに合ったファッションを探し続けた努力が伝わってきました。「レネ」が心のオアシスだったとのこと、特別な場所に出会えた喜びが感じられます。
    2024年08月30日 20:59
  • werewolf

    流行りのファッション・・・なんか嫌いでした。
    好きでもないのにみんなの真似するってのがね・・・
    でも問題は、好きな感じのが流行った時にどうするか?
    流行りに乗ってると思われるのは嫌だけど、そのファッション自体は
    嫌いじゃない・・・(^_^;)
    2024年08月30日 21:29
  • t-yahiro

    私が衣服やアクセサリーに対してとても興味があったのは
    今から30年位前ですが、そのころはネットもなくみんな誰しも
    同じ指向性でつまらなく、ブーツをフルオーダーで買いました。
    ステンレスと皮のブーツは今の私のお給料では買えないものでした。
    2024年08月30日 23:33
  • ぼんぼちぼちぼち

    ぷちさん

    昔から雑誌に気に入ったものが載ってたとは、羨ましいでやす!
    あっしは、中高生の時に出てた雑誌、、、アンアンとノンノに出てる服は全部嫌いで、あっし好みのファッション誌が登場したのが、ずいぶん時代が下ってから、キューティーが初めてでやした。
    お店の人と仲良くなるの、楽しいでやすよね!
    「こんな新作入ってきましまよー!」って、いち早く教えてもらえたり。
    2024年08月31日 08:38
  • ぼんぼちぼちぼち

    かずいさん

    へい、あっしは、ファッションで自分のアイデンティティを確立している人間なので、好きな格好をすることで、精神的に生きられるんでやす。
    レネ、原宿のインディーズブランドの店、古着屋が世の中にあって救われやした。
    あれらがなかったら、あっしはまじ、精神の寄る辺がなくて自殺してたと思いやす。
    2024年08月31日 08:45
  • ぼんぼちぼちぼち

    werewolfさん

    そうそう、好きな感じのが流行った時にどうするか、、、
    そこ、ひとひねりもふたひねりもしたコーディネートでないと、
    ありきたりの人になっちゃうんでやすよね。
    たまたま、あっしが30年くらい前から好きで履いてたカーゴパンツが今、女性の間でも流行ってやすが、50Sのヴィンテージのカーディガンと合わせるとかして、他に誰もしてないコーディネートで、唯一無二を保ってやす。
    2024年08月31日 08:52
  • ぼんぼちぼちぼち

    t-yahiroさん

    ブーツをフルオーダー、、、この上なく贅沢なお洒落でやすね!
    あっしもやってみたいけど、そこまでは出来ずに既製品で甘んじてやす。
    今はなんとか既製品でも、納得のいくブーツが手に入るので。
    どのアイテムでも、フルオーダーほど贅沢でお洒落なことはありやせんよね!
    2024年08月31日 08:59
  • よいこ

    洋服については、ぼんぼちさんほどの飢餓感はなかったのですが、無地やラインばっかだったユニクロの無個性感が嫌いでした。

    もう少し遅く生まれていたらネットでロスゴリ服を買って楽しんだのになぁと、いろいろな服が手に入る娘世代がうらやまし方です
    2024年08月31日 10:52
  • ぼんぼちぼちぼち

    よいこさん

    ユニクロは、安いし、無難な格好ができれば、、、という人向けの大衆ブランドでやすもんね。
    ゴスロリ、可愛いでやすよね〜
    そう、近年は、ネット通販サイトで、オリジナルの服やアクセサリーを作っているかたもたくさんいらっしゃるから、そういうかたからも買えやすしね。
    まさに世界で唯一無二のファッションが出来る時代になりやしたね!
    2024年08月31日 11:08
  • yokomi

    精神のオアシス....とは良い場所を見つけましたね(^_^)v
    ファッションは全く疎いです。ニュートラ=車のギアが入っていない状態、サーファー=波乗り、ハマトラ=プロ野球球団...程度の知識(^_^;) 中高生時代は、海山を除いて何処に行くにも黒い学生服(^_^)v 何を着ようか....なんて悩む事が無かったです(^_^;)
    「砂底のカレイ」は名言かも(^_^)v
    2024年09月03日 01:09
  • ぼんぼちぼちぼち

    yokomiさん

    へい、決して大袈裟な表現ではなく、「精神のオアシス」でやした。
    レネをはじめとする数店の店がなかったら、あっしは精神的飢餓感に押し潰されて、ほんとに気が狂って自殺してたと思いやす。
    それくらい、ファッションって、あっしのアイデンティティを確立する唯一の手段なんでやす。
    ファッションにご興味なかったとは、何か別なことでアイデンティティを確立されていたのでやしょうね。
    どんなジャンルにしろ、アイデンティティを確立するものが世の中にある人は幸せだと思いやす。
    2024年09月03日 09:29
  • おと

    流行が自分の趣味に合わない時って、困りますよね。
    同じような服が大量に売られて、みんな同じ雰囲気で、流行に疎くても、あ、今はこれが流行りなんだなぁとすぐわかります^^中学が、制服に厳しい公立で、わけのわからない規則が沢山あって嫌だったので、高校は私服の学校を選びました。何もかも自由で嬉しかったです。
    2024年09月03日 18:23
  • そらへい

    紀伊國屋書店の1階にブティックですか。
    私が記憶しているのは、カレー屋さんだったかな
    それからライターなどを売っているアクセサリー店
    ずいぶん昔の話です。
    2024年09月11日 20:32
  • ぼんぼちぼちぼち

    おとさん

    そうなんでやすよ、中高生時代、ほんとに困りやした。
    服の量はたくさん売られてるのに、欲しい服が売られていない、
    美容室に行ってヘアカタログ誌でどの髪型にしたいのか説明したくても、したい髪型がヘアカタログ誌にない、
    好きな服を売ってる店に辿り着くまで、ほんとに苦労して駆けずり回ってやした。
    高校が私服って、羨ましいでやす!
    あっしは中高一貫の学校だったので、同じ制服を6年間着なければならなかったでやす。
    あれも地獄でやした。制服を着ている時は死んだ自分でやした。
    2024年09月12日 09:18
  • ぼんぼちぼちぼち

    そらへいさん

    カレー屋さんとかは、紀伊国屋書店ビルの脇の通路沿いにありやしたよね。
    レネは、一階にどーんとあったんでやす。今は書籍を売ってる場所でやす。
    あの時代にあの一等地に、アンチ流行の服屋があったのは、店の存在自体が、流行大嫌い!って代弁してくれてるようで、嬉しかったでやす。
    2024年09月12日 09:23