父がジュリーの武道館コンサートに連れて行ってくれた思い出
私は、母親には物心ついた頃から虐待を受けていたが、父には可愛がられていた。
どのくらい可愛がられていたかというと、中学生の時のこずかいが月15万、高校生の時が月20万だった程だ。
当時は、世間の多数派の家庭の内情など解らない年齢だったので、自分の家が、自分の父が当たり前なんだと、漠然と思っていた。
そんな中高時代ーーー
確か、中学3年か高校1年の年だったと記憶している。
私は、ジュリーが武道館コンサートをやると知り、そのコンサートに行きたいと言ったら、「1人で行かすのは心配やけん、パパも一緒に行くけん」と、父は2枚チケットを購入し、二人で行く事になった。
あれは土曜日で、校門の脇に車をつけて待っていた父と合流し、ダサい制服なんかでは絶対に恥ずかしくて行けない!と、当時からお洒落命だった私は、杉並区に在った私の中高から武道館への道中、車の後部座席で、大のお気に入りの漆黒のベルベットのふんわりとしたアンティーク調のワンピースに着替え、濃い紫色のアイシャドウとアメリカンチェリー色の口紅でバッチリキメた。
父は時々、後ろを振り返り、「なんばしょうとかいね」と苦笑していた。
車でお濠を越えると、間もなくコンサートは始まった。
私がコンサートの情報を知り父に告げたのが遅かったので、席は、照明機材の間からジュリーの後ろ頭がチラリチラリと観える席だったが、それでも私は、何メートルか先に憧れのスーパースター・ジュリーがいる事に、大興奮した。
光沢のある白い衣裳に同生地で作られたレエスのついたヘッドドレスに身を包んだジュリーは、オリジナルの楽曲の他に、アニマルズのシーシーライダーを披露してくださり、私は嬉しさ余ってステップを踏み踊った。
コンサートがはねると、父と私の車は、靖国通りを西へ行き、新宿駅の近くで、私は「じゃ!」と、父に手を振り、国立の自宅へ帰った。
父はいつもの様に、複数人囲っている愛人さんのいずれかのマンションへと、車をUターンさせた。
大人になって思い返してみるとーーー
父が私と一緒にジュリーのコンサートを観に行ってくれたという事は、どれ程、私に愛情を注いでくれていたか、という証だったかを気づかされた。
何故なら父は、若い頃は、売れないクラシックのバイオリニストをやっており、テレビの歌番組のバックのオーケストラのアルバイトでしのいでいたが、それでも、私が産まれるとますます貧しくなり、私を育てるために、私が3才になった時に、ひりつく程に愛していたバイオリンを捨て、全く違う、実力次第で金の稼げる仕事に鞍替えしたのだ。
ーーー私が3才までどれ程貧しかったかというと、中野の風呂無し共同便所の3畳一間のオンボロアパートに、親子三人で暮らしていた程だ。
父としては、バイオリンの仕事を捨てる事に未練が無かった筈は無く、私への愛情がバイオリンより大きかったから、鞍替えしてくれたのだった。
そして、クラシックのミュージシャンの多くは、流行歌というジャンルを軽蔑し、「あんなものは音楽じゃない!」と、鼻もひっかけないのだが、父も例外ではなく、私が幼い頃、なだらかな四角いテレビに張り付いて歌番組を観ていると、「けっ!流行歌なんて、、、」と、幾度つぶやいていた事だろう。 自分はそのバックのバイトをしていたから、その屈辱感はよけいに大きかったと察する。
そんな父が、私を「1人で行かせるのは心配だから」と、自らチケットを買って、隣の席で聴いてくれたのだ。
つまり、父の私への愛情が、流行歌への軽蔑・屈辱感を突破ったのだった。
ジュリーの武道館コンサートの思い出は、私にとって、父の愛情の大きさが、武道館より遥かに大きかった事の証明の思い出でも、ある。
この記事へのコメント
shiho
そして、ぼんんぼちさんに愛情をいっぱい注いでくれた
お父様ですね~。泣ける~。
我流麺童
とは金銭的なお父さんの支援は凄かったのですね。
自分の子供のこずかいは1/20でした。(^^
mm
お父様ってわたくしの父と真逆の人と言う感じがします。羨ましいなぁ~
KINYAN
素敵な話です(^o^)
kazukun2626
特別ですよ
いいお話ですね
taekozue
優しいお父様だったんですね。
ジュリーのコンサート、良き思い出ですね。
hana2024
人は誰かに愛された記憶があると生きていけるものです♪
武道館コンサートを楽しむに、濃い紫色のアイシャドウとアメリカンチェリー色の口紅でバッチリキメたぼんぼちさん^^
私もマリクワ・コスメを好んだ世代、良くわかりますとも‼!
英ちゃん
ジュリーの武道館コンサートも見に行けて良かったね。
ジュリーは一度だけお会いした事があります。
某NHKの歌番組で(^_^;)
控室に戻る時に私の横を通って行ったのでした(;^ω^)
お話はしてませんけどね(^▽^;)
kiyotan
そんな愛情に包まれて育ってよかったですね
お母さんから虐待されたぼんぼちさんが真っ直ぐに
育ったのはお父さんの愛情がそれをカバーしていたから
でしょう。
かけがえのないものですよね
お父さんの思い出大切にしてください。
溺愛猫的女人
侘び助
あっしは4歳の誕生直ぐ後父とは永遠の別れを・・・
その後の苦労は思い出しても涙が(お金や貧のどん底)
夢もあきらめ家族を助けて成人に、超高齢になった今
一人暮らしながら朝な、夕な・幸せな日々に感謝を
mayu
その思い出だけで、どんな時も、生きて行かれそうなほど、いいお話です(^^)
JUNKO
Rchoose19
だから自分も親になっていないのだなぁ~と
改めて思いましたよ(#^^#)
Take-Zee
優しいお父さんでよかったです!!
わたし
わたしとぼんぼちさんは10歳くらい違うので、ぼんぼちさんが中学生のころには、わたしは新婚の頃、あの頃15万といったら主人の給料くらいですよ、車のローンとか家賃とかがあり、カツカツの生活でした。
Ja-Kou66
気になるのは、そのお小遣い・・・
母親にはとられたりしなかったのでしょうか・・・ちょっと心配^^;
席位置はどうであれ、ずっと心に残っていて
とてもいい想い出だったのが分かります。
リンさん
お小遣いの額にはビックリしてしまいましたが^^;
父といっしょにコンサートなんて、私には考えられません。
私も地方に来た時、一度だけジュリーのコンサートに行きました。
もう全盛期は過ぎていたけど、カッコよかったです。
sara-papa
お小遣いは自分の周りにいないほどの金額で驚きました!^^;
みうさぎ
しかし懐かしいぼんぼちさんが生き生きとする時間だったのですね。いい思い出があって良いね。
ゆうのすけ
傍は行ってますが。。。^^;
お父様の存在があったから ぼんぼちぼちぼちさんも大変な時を
乗り越えてこられたのでしょうね。^^✿~
(逆算すると・・・^^;)沢田研二さんがトップスターのまた
トップに君臨されていた頃だったんですね。
yoko-minato
びっくりです。
当時多分私は働いていた時期かと。
初任給が17000円ぐらいだったと
記憶しています。
沢田研二さんが出てこられたのは
もう少し後かも知れませんね。
それにしてもお父様のぼんぼちさんへの
愛情はとびぬけていましたね。
エンジェル
お父様のぼんぼちさんへの愛情が
ヒシヒシと伝わってきました✨
ぷち
博多弁の会話がリアルに心地よくその光景が伝わってきました。
フヂ
素敵な思い出に、心があたたかくなりました。
ヨッシーパパ
ChatBleu
つぐみ
ジュリーをみるとそのことを思い出されることでしょう。
最近はジュリーのお姿を見る機会も少なくなってしまいましたね。
sig
Boss365
「高校生の時が月20万・・・」凄い金額ですが、お父様、羽振りよく稼いでいた感じですね。父と娘でジュリーの武道館コンサートにお出掛け、都会的でお洒落な風景です。また、父の愛を感じる付き添いですね!?(=^・ェ・^=)
めりー
読んでいて思わず光景が目に浮かび
お父さまとの会話にもほっこりしました(〃▽〃)
藤並 香衣
素敵なお父様です
mau
歌を聴くたびに気持ちが高揚しそうです
NO14Ruggerman
私見ですが父親は息子よりも娘の方が100倍可愛いものですから。
starwars2015
我が家は息子一人なので想像ができません。
ジュリーのコンサートに行ったお父さんの姿、いい思い出ですね。
yamatonosuke
猫の友 メルティー
なかちゃん
そんなに愛してくれた父親と、その分虐げてきた母親、これもバランスなのでしょうか?
カトリーヌ
その時の光景が目に浮かびました^^
いつまでもその時のことを思い出して
ほっこりした気持ちになれますよね♡
素敵なお父様です。
もーもー
子供のまま 大人になった方で・・父親と思えず
同居のおじさん と言う感じ・・働かない人は嫌い・・
と言う イメージが植え付けられ・・子供達は自立心が強く
自分の旦那を 優しく扱えず・・父親の影響大です・・・
ジュリー ずいぶん太ってしまって・・郷ひろみの偉大さを実感
ぼんぼちぼちぼち
さっそくたくさんのコメントを、ありがとうございやす。
長かった記事にも関わらず、読んでくださって、光栄でやす。
へい、殆どのかたが書き込んでくださってるように、父のあっしへの愛は、ハンバないものがありやしたね。
あとは、高校生になると、月1で、新宿のかなりいいレストランに連れて行ってもらってたんでやすよ。ウェイティングバーがあって、ホール係りが「食前酒は何にいたしましょうか?」って聞いてくるクラスのお店。
でも当時は、お小遣いの額も、レストラン同行も、コンサート付き添いも、何もかも当たり前だと思ってたんでやすよね。
だから、「ありがとう」って言ったことも一度もなかったでやす。
なので、今、こうしてブログ記事にしていることが、ありがとうの代わりかな。
一方、弟は、そんなに可愛がってもらってなかったでやすね。
お小遣いもあっしほどもらってなかったし、レストランに連れて行ってもらったこともなかったし。
男の子だから、って他に、母親と一緒になって父をののしっていたから、というのもあると思いやす。
弟は、母親には、これは詳しくは書けやせんが、かなりいびつな形で愛されてやした。
弟もそんな母親を全部信じ切っていたので、母親が父をののしる時、加勢してやした。
そんな息子、よけいに可愛いと思えないでやすよね。
小遣いを母親に取られなったか、、、それは大丈夫でやした。
母親も、生活費の他に自分だけの小遣いを月100万もらっていて、毎日のようにデパートで、着もしない服、履きもしない靴を山ほど買ってきて、夜はバーに行って飲み歩いてやした。
逆に、あっしが、たまたま安価で気に入った服があったので買って帰ったりすると、「こんな安モン、近所の人に貧乏人だと思われるわー!このっ!恥っさらしめがーーーっ!!、」と怒鳴って、破り捨てられやした。
母親は、父を、あっしを憎むのと同じくらい憎んでて、「あんな憎い男の金、湯水のように使ってやれーーー!」っていうのが、あっしへの命令でもありやした。
何故、母親が父をそんなに憎んでいたかというと、、、
子供が嫌いなのに、妊娠させられた、この男が加害者でアタシは被害者だ、という意識が根底にあったこと。(でも、実は、母親が勝手にあっしを一人で産んで、「このコ、アンタのコだから責任取りなよ!」と迫ったということでやす)
若い頃は、痩せててかっこよかったのに、中年になったら太って醜くなった、アタシは騙された〜!
とか、そんな理由でやす。
だから、父が家の中にいる時は、母親がひっきりなしに罵声を浴びせて、弟がそれに加担して、あっしは一人、黙っている、という状況でやした。
母親は、父があっしに話しかけることを許さなかったので、可愛がってくれるのが、お小遣いの額や、外での交流になってやした。
こういうことを書くと、愛も金も両方受けられなかった子供時代を過ごした人に失礼にあたるかも知れやせんが、、、
あの額のお小遣いのおかげで、あっしは母親からの虐待の心の傷を、ずいぶんと癒やすことができやした。
だって、欲しいと思った服もアクセサリーもなんでも買えるし、食べたいと思ったものは何でも食べられたし、、、
あの額のお小遣いがなかったら、あっしは心の傷を埋められなく、とてもひねこびた人間になっていたと思いやす。
あっそうそう、アイシャドウと口紅は、マリークワントでやす。
hanaさん、さすが、するどい〜!
口紅は、バーガンディチェリーという色名だったのを覚えてやす。
そして、あの頃のジュリーは、最高に人気があって、最高に美しかったでやすね。
確か、「時の過ぎゆくままに」を歌われてた頃でやす。
ジュリーファンって、あっしよりワンゼネレーション上の人が殆どなんでやすよね。
なので、武道館公演も、周りは、あっしよりずっと年上のおねえさま達ばかりでやした。
あれから、何人かのミュージシャンの公演を聴きに行きに、何度か武道館に足を運んでやすが、やはり、行く度に、初めて行った父とのことを思い出しやすね。
marimo
とてもキラキラした素敵な思い出ですね。
さらには愛情の深さや大きさを改めて実感できるなんて~♪
思春期の私を思い返してみると、あり得ない光景だな~と思いました。
父と何処かへ行った記憶もなく・・・
子供らとチャンネル争いをするような父でしたのでね(笑)
ミケシマ
娘への愛情は、父親の信条やプライドを超えてくることがありますね。
私の父は不器用な人でしたが、私も、そういった愛情を感じることがたびたびありました(*^^*)
ムサシママ
ぼんぼちさんはお父様に愛されてその愛情を感謝と共に感じられて
お幸せだな~と思います
そらへい
自分が親になった時の子供への愛情
いろいろ思ってしまいます。
ライス
なんだかいいお話で涙目になってしまいます。
子供の頃、親に連れられて出かけたことを思い出します。
当時、神奈川から都内方面へ行った帰りは、
小田急ロマンスカーを利用した記憶が多くて、
車内販売も買えずに子供心としては残念でしたが、
特急料金だけでも厳しいのに乗せてくれたのでしょう。
大人になって子供への愛情がわかる気がします。
親の愛情で思い出が残りますね。
カリメロ
大変ご無沙汰しております。切り替え時に忙しく手続きが出来ず、自分のブログに入れなくなり何年も月日が流れてしまいました。
少し落ち着いてきましたので、また改めて立ち上げれれば…と思っているところです。
みち
中学の時のお小遣いはひと月1000円だったような気がします^^;
naonao
心が温まりました。
ぼんぼちさんに愛情をたっぷり注いでくれた
素敵なお父様ですね。
ぼんぼちぼちぼち
へい、おっしゃる通りに、父には溺愛されてやした。
怒られた記憶も一度もないし、高校生の時、課題の平面構成を持って家を出るのを忘れて、途中の駅で気がついて、その日、珍しく父が家にいたことを思い出して、父に平面構成を学校まで持って来てもらったこともありやす。
授業中にドアをガラッと開けて、「これ、ぼんぼちに」って言ったものだから、あっしはかなり照れくさかったでやす。
先生も、「いいお父さんだね」と言ってやした。
そんなこんなが当たり前だと当時は思っていやしたが、当たり前じゃなかったんでやすねぇ。
そう、時として、愛は信条やプライドを突き破ることがある、まさにそうなんでやすねぇ。
大人になって、物事俯瞰できるようになってから、あれは並々ならぬ愛だったのだ!と気づきやした。
今ブロックにコメントくださったかたがた、形は違えどやはりお父様から愛情を注がれていて、良かったでやすね!
一生忘れられないいい思い出でやすね!
一方、子供と一緒にチャンネル争いしてたというお父様も!
それはそれで、なんか他愛なくて可愛いな、と思いやした。
HOLDON
お母さまの少なからぬ異常さ、お父さまも当然知っていたのでしょう。
貴女だけに虐待していることも知っていたのでしょう。
お書きになったこと、よ~く分かりました。
t-yahiro
AKAZUKIN
素敵な思い出ですね
拳客
たいちさん
ぼんぼちぼちぼち
解ってくださって、嬉しいでやす。
母親は父にも色々と酷い仕打ちをしてやした。
アタシは洋酒の匂いが嫌いだから、アタシの前では一切、酒飲むな、とか。(それでいて母親は、家ではビールをガブガブ、バーではジンフィズをガブガブ)
クレジットカードを持つのは貧乏人だからと、父にカードを持たせなかったり、
外車は嫌いだから車はクラウンにしろ、とか、
それでも父は、はいはいと従ってて、それは、気が弱かったからではなく、少しでも逆らうと、母親が「ギャーーーッ!!!」となって、収拾がつかなくなるからでやした。
そんな母親と、あっしが18才になるまで離婚せずにいてくれたのは、ただただあっしの為でやした。
ぼんぼちぼちぼち
ジュリーは、志村けんさんとのコントも好評でやしたね!
スターと付き人のコントは、特に面白かった!
ジュリー、あんなにかっこよかったのに、コントも上手かったでやすね!
ぼんぼちぼちぼち
そうでやすね。
あっしは、母親に虐待された分、父に溺愛されやしたね。
ぼんぼちぼちぼち
へい、父に愛されていたこと、大人になってから気づきやした。
それまでは何もかも当たり前と思ってやした。
ぼんぼちぼちぼち
16年前というと、ジュリーの芸歴からいくと、ほんの最近でやすね。
楽しめるコンサートて何よりでやした。
奥様、タイガース時代からのファンでいらっしゃるのでやしょうか?
sana
大事な音楽の仕事をやめて、高額の収入を得て、それを愛娘のために使いたかったのですね。
お父様に溺愛されていて、しかもそれが当たり前だったなんて。
お母様のすさまじい言動や虐待と対照的ですね。
ジュリーが絶好調の頃のコンサートでしょうか。お父様としては複雑な葛藤もあったのに。
中学の同級生で今もジュリーのコンサートに通っている人いますよ。そういう世代^^
ぼんぼちぼちぼち
へい、溺愛されていた、と解ったのは、大人になってからでやすね。
それまでは、ただただうちの父は当たり前、と受け入れてやした。
中1の時の運動会にもカメラを持って来てくれたり。
中学になって親が運動会を見に来る人なんて、他に誰もいなかったから、照れくさかったでやす。
でも、大人になってみると、あれも愛だったんだなあと。
ジュリーのコンサート同行、父にとっては葛藤もあったと思いやすよ。
だって、あれほど蔑んでいた流行歌のコンサートだったんでやすから。
ジュリーは、「時の過ぎゆくままに」を歌ってた頃でやす。
あの頃のジュリーが、一番、人気もあって、退廃的で美しかったでやすね。
あっしは、「危険なふたり」から「TOKIO」の前までファンでやした。
ryang
ぼんぼちさんを見守るために一緒に行く、て
お父さんの愛情ですね
普通なら「くだらん!そんなもの行くのは許さん」
てただ盛大に反対するだけでしょうから
ぼんぼちぼちぼち
おっしゃる通りでやす。
父は、あっしが母親に何もかも、存在すら(産まれて来たことすら)否定されて虐待されてたので、その埋め合わせをしてくれたのだと思いやす。
父に怒られたことは一度もなかったし、何をしてもどんなファッションをしても、肯定してくれやした。
よいこ
田舎に住んでいるので、全盛期のスターがコンサートに来ることはなく、うらやましい限り。
父と「愛と誠」の映画を見に行ったのを思い出しました
ぼんぼちぼちぼち
当時は当たり前のことと認識してたのでやすが、大人になってから、あぁ、あれは大きな愛だったのだなあと、解りやした。
確かに、大スターが地方公演をやるとしたら、地方の中でもかなりの大都市だけでやすもんね。
「愛と誠」流行りやしたね〜確か、西城秀樹さん主演でやしたね!
yokomi
ぼんぼちぼちぼち
母親は、父の承諾なく勝手に一人であっしを産んで「これアンタの子だから責任取れよ!」と迫ったので、結婚したそうでやす。
そんな結婚の始まりだったにも関わらず、あっしのために大切なバイオリンの仕事を捨ててくれたりと、ずいぶん愛されてきやした。
あっしだったら、あんな女とは、認知だけして結婚しないでやすね。