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父に会わせてもらえなかった9年間

私の両親は、私が高校卒業と同時に離婚しました。
元々結婚した理由というのが、モテた父のとりまきの一人だった母が、父を一人占めしたくて、秘密で私を産んで、「これ、アンタの子だから責任取ってよ!!」と 強引に産んじゃった婚にもっていったからでした。
父は、「ぼんぼちが高校を卒業するまで」という期限つきで 結婚を了解しました。
そして、約束の、私が高校卒業時がきたので、予定通りに離婚し、二号さんにしていた女性を本妻にしました。

母が何故、ぼんぼちが高校を卒業するまで、という期限に承諾したかというと、「以降はぼんぼちに養ってもらえばいい」という算段があったからでした。
母が、私が母を養う母の出した条件というのは、「画家になって月々100万アタシに渡す事」でした。
私は幼い頃からファッションの仕事に就くのが夢でしたが、母の強引さに勝てずに、高校卒業後の進路を最終決定させて学校に提出するのが 高校2年の了りだったので、泣く泣くファッションの専門学校受験準備をあきらめ、高3で画壇デビューしました。

プロの画家になって稼ぐには、必ず画商につかなければ 月々安定した一定以上の収入は得られないので、画商がつくに値する大きな賞をいくつも取りました。
そして、高校卒業と同時に プロとして画家デビューをしました。

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しかしーーー
日曜も盆も正月も祭日もなく、画壇のパーティーと個展開催期間以外は、毎日毎日、一日18時間 筆を持ち続けても、母に渡せる金額は、30万がやっとでした。

母は、「30万しか稼げねーなんて、おめーはなんてダメ人間なんだ! これじゃあ産み損じゃねーか! 子供は18になったら親に100万渡して左団扇させるのが当たり前の親孝行ってもんだろーがっっ!!」と 般若の様な顔でののしりました。

それでも、次々と来る注文を徹夜でこなしても、個展で展示した60作品を完売させて追加で20作品受けても、30万代渡すのが、精一杯でした。

母は、「パパからは、土地と家をもらっただけで、離婚後は一銭も受け取ってねーし、どころか、パパとの連絡もつかなくなったんだよ。居所も解んねーんだよ。 だからおめーも、どんなにパパに会いたくたっても会えねーんだよ!」と 吐いていました。

私が身を粉にして次々30万渡し続ける生活が、8年続きました。
私は26才になりました。 私には、青春らしい青春など、何一つとしてありませんでした。
そんなある日ーーー
30万にしては母の豪遊っぷりがずいぶん派手なので、密かに調べてみるとーーー
母は父から月々40万送ってもらっていて、私にもまとまった額のお金をくれていた事が発覚しました。
母は、私と父から二重取りして、私へのお金もガメていたのです。
だから当然、父の連絡先も居所も知っていました。
母が私に、「パパの連絡先も居所も解らない」と言っていたのは、この事実がバレたくなかったからに他なりませんでした。
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私は、この8年間 生命がけでやってきた事があまりにも馬鹿馬鹿しくなり、同時に母に騙されていた事に、頭の中の糸がプツン!と切れ、「物心ついてからずっと母には虐げられてきたけれど、もう言いなりにはなるまい! 私は私の人生を生きてやるんだ!!」と 自分に誓いました。

すぐに母にこの事実を突き付け、「私はもう、金なんか渡さない! 画家なんて なりたくてなった訳じゃないから辞めて 自分の好きな人生、歩んでやる! この事をパパにも白状しろっ!!」と 強く強く出ました。
母は逆ギレし、私に馬乗りになって髪の毛をギューギュー引っ張ったり、「娘に殺されるー!助けてくださーい!」と狂言の電話で、パトカーや救急車を呼んだり、隣街のソープに、「ウチの娘を買い取ってくれ!」と交渉に走ったりしましたが、世間が、そんな嘘や馬鹿げた交渉を受け入れるはずもなく、私は画家を辞める事にし、父からのまとまったお金を母から渡させ、父の連絡先も居所も知りました。
父は、郷里の久留米に、本妻となった元二号さんと住んでいる、という事でした。

その旨を画商に話し、「今来ている注文を全て描き了えたら、私は画家を辞めます」と 決意のほどを伝えると、画商は、「ぼんぼち先生が筆を折られるのは、もったいないですねぇ」と残念がりつつも、一つ、私に言わないでおいた出来事がある、と打ち明けてくれました。
なんと! 母は、画商を私に秘密で表に呼び出し、「ぼんぼちのギャラをぼんぼちに払わずに、前払いでアタシに渡してほしい」と 頼んでいたというのです。
画商は、速攻 断った、と言っていました。
当然です。
作品のギャラは、画商から直接画家に支払われるものであって、いくら家族であっても、そんな形を取るとトラブルの元になるからです。
画家と画商との契約には、「あずかり制」と「買い取り制」の二種類がありますが、私は、より安定した収入の得られる「買い取り制」を選んでいたので、常に、作品を渡した時点でギャラ受け取り でした。
画商は、「僕が断った時、お母さんの手、震えてたけど、お母さんアル中?」と けげんな顔をしていました。
母は、逆上してくると、手が震え、その感情にもっと拍車がかかると、両手共つっぱってパー状態に筋肉が硬直するのでした。
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注文を受けていた作品を全て描き上げ、画商との最後の挨拶を交すと、私は迷う事なく、父が私にくれていたまとまったお金を元手にマンションを借り 家を出ました。
その事を知った父は、月々、私に生活費をくれました。
しかし、その生活費は、母が、父が直接私に送るのを嫌がりゴネて、一旦、母の所に送り、母が現金で、月一で私の住んでいるマンションに手渡すんだと 譲らなかったそうです。
理由は、今度はシタテに出て、何とか私に再び、今までの生活をさせようという魂胆が見え見えでした。
私は毎月、金だけ受け取ると、玄関ドアをピシャリ!と閉めました。

そのちょうど一年後ーーー
母はクモ膜下出血で脳死になり、あとは心臓死を待つだけの状態となりました。
病院のICUの患者の関係者控室の畳敷きの部屋に行くと、かっぷくのいい白髪の男性が、背を向けて寝転がっていました。
寝返りを打つと、それが父でした。
かっぷくの良さは以前と変わりませんでしたが、真っ黒だった髪が真っ白になっていたので、ちょっと驚きました。
起きて、9年ぶりの対面の喜びの挨拶を交わした後、父は、「とし江(母の名)には、月々100万送れ!と迫られたけど、もう他人になったから、そんなには送りたくなかったんだよ。 そしたら、『銀行強盗やってでも100万送れ!!』ってギャーギャー騒いでたけど、パパは銀行強盗なんてしなかったよ」と 笑っていました。
その後、「あの土地と家は、これでぼんぼちのものだから、ぼんぼちの好きなように何とでも使いんしゃい」と コロンとあぐらになりました。

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この記事へのコメント

  • mm

    おはようございます^^
    いやぁー筆舌に尽くしがたし、といった感じのお母さんでいらっしゃったのですね。ぼんぼちぼちぼちさんが鍛えられたのもよく分かります^^
    早く亡くなられたのも宿命だったかな。
    2022年01月10日 06:42
  • 我流麺童

    以前に毒母と書かれていた背景が良く分かりました。
    2022年01月10日 06:46
  • KINYAN

    ぼんぼちぼちぼちさんの生い立ちが分かり、色々なことの見方に個性を感じるのも分かりました。
    2022年01月10日 07:43
  • marimo

    壮絶な半生を過ごされたのですね。
    しかしお父様は裕福で家族を支える器があったことは
    とてもありがたい事でしたね。
    お母様と闘いながら得た自由(^^ 宝物ですね。
    2022年01月10日 09:16
  • Take-Zee

    おはようございます!
    大変なご苦労をされましたね・・・
    でも立派に乗り越えて感服しています。
    舌足らずのコメントしかお送りできません。
    2022年01月10日 09:17
  • erena

    読み進めていく途中何回も 気持ちをどこにぶつければいいのか。
    そう思っている間に次から次へとの仕打ちで。
    あきらめながら 戦いながら壮絶な半生。
    自分で切り開いた人生。
    ぼんぼちぼちぼちさんのかけてくださる言葉や思いやりが深く感じます。
    2022年01月10日 09:49
  • わたし

    ぼんぼちさんの過去は、もう小説、映画以上です。
    数年前の文を読んだ時、ある程度脚色もあるのかな?と思っていましたが時々綴っていただける回顧録に、齟齬はまったくなくまぎれもなく事実でしょう、事実は小説より奇なり、という言葉がありますが、まさにそのとおりです。
    大事な青春時代をそのように過ごされて、でも、わたしは、お気の毒とは思いません。
    今とても、お幸せそうなのはそのおかげだとおもいますよ。
    2022年01月10日 10:29
  • 八犬伝

    何度聞いても、壮絶な話ですよね。
    世の中に、本当に毒母というのがいるのですね。
    2022年01月10日 10:33
  • wildboar

    よく頑張ってこられましたねぇ。
    こういうことが現実にあるとは、少々驚きです。
    2022年01月10日 10:48
  • 侘び助

    逆の話はよくありますが、懐の深いお父様で
    よかったですね。(*'▽')
    2022年01月10日 10:56
  • ChatBleu

    まだまだ鬼母話は尽きないようですね。
    本当にご苦労なさっての今の幸せなんだなぁとしみじみ思います。
    2022年01月10日 11:54
  • Boss365

    こんにちは。
    壮絶な半生ですが、支配者から自由を勝ち取った分、今の生活をよりエンジョイ出来るているような気がします!?(=^・ェ・^=)
    2022年01月10日 13:46
  • たぃ

    ぼんぼちさんの半生、苦労の連続だったのですね
    お母様が亡くなったことは、ぼんぼちさんを幸せに導くものかもしれませんが、反面お母様がいたからこそ感じる幸せかも
    聡明なぼんぼちさんに敬意を払いたいです
    2022年01月10日 15:10
  • lamer

    今年もよろしくお願いいたします。
    2022年01月10日 15:56
  • hana2022

    タグに付けられた、毒母 DQNな親 父と会えなかった理由の全てが書かれていて、読みでがありました。しかし子供は親を選べない・・・の典型であるような。失礼!
    2022年01月10日 16:27
  • フヂ

    何度聞いても、お母さまの感覚は
    理解できませんね。ぼんぼちさんと
    お父さまとの関係は悪くなかったのに、
    そんなに長い間会えなかったとは…。
    2022年01月10日 16:53
  • bgatapapa

    事実は小説よりきなり~大変なご苦労様でしたね。
    ( ノД`)シクシク…
    2022年01月10日 17:24
  • そらへい

    こんなドラマみたいなことが現実にあったんですね。
    その頃の体験が今の肥やしに少しでも成っているといいですね。
    2022年01月10日 17:26
  • あとりえSAKANA

    何度聞いても(読んでも)胸がぎゅっとなります。
    自分の思う方向に行けなかったのは辛かったですね。
    でも【高校卒業と同時にプロとして画家デビュー】
    出来るなんて素晴らしい。もちろん血の滲むような
    努力をされたのでしょうけれど…なかなか絵で食べて
    いける人っていないですから…。
    2022年01月10日 17:40
  • coco030705

    最近でこそ、酷い親の話がマスコミをにぎわせたりしますが、
    ぼんぼちさんは、本当につらい日々を過ごされたのだなと心が痛みます。今は自由な日々をお過ごしなんでしょうね。これらからは、ご自分の思い通りの人生が送れますよう、お祈りします。
    2022年01月10日 18:09
  • moz

    遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
    本年もどうぞ、よろしくお願いします m(_ _)m
    2022年01月10日 18:20
  • Azumino_Kaku

    こんばんは、
    記事拝読致しました。
    筆舌につくしがたい困難を乗り越えられた方だからこそできる表現てあるなぁと感服致しました。
    2022年01月10日 19:20
  • JUNKO

    まるで映画のストーリーのようですね。ご苦労なさったことがぼんぼちさんにプラスとなっているとしか思えません。ご両親からの才能を受け継がれているんですよ。認めたくないかもしれませんが、私はそう思います。
    2022年01月10日 19:21
  • きよたん

    何回かお母さんお父さんのこと自分の生い立ちなどに
    ついて語られていましたが少し詳細がわかりました。
    お父さんと会えなかった間の苦しい年月
    人生の一番大事な青春時代の大半がお母さんの犠牲とな
    ってしまって・・時間がもったいないことです。
    でもそれをバネにしたいことを実現させ着々と人生を
    豊かなものにできた精神力 すごいと思います。
    今まで以上に幸せになってくださいね
    2022年01月10日 19:55
  • johncomeback

    事実は小説より奇なり。
    僕は小五で実父が他界してからいろいろありました。
    「僕は幸せだ」と自分に言い聞かせて生きていたら、
    ホントに幸せになりました(^^)
    2022年01月10日 19:57
  • Rchoose19

    ぼんぼちぼちぼちさんの人懐っこさは
    父上譲りなのかな(⌒‐⌒)
    母上のご両親は、どんな方かな?と
    思ったりしています。
    大きなお世話ですねm(__)m
    2022年01月10日 20:21
  • ヤッペママ

    現実にあることを知りました。それくらい私には別の世界です。
    でもその経験から今のぼんぽちさんがいらっしゃるのだと思います。
    2022年01月10日 20:24
  • えんや

    最後まで読ませて貰いました、、、。
    、、、。
    今年もよろしくお願いいたします。
    2022年01月10日 20:27
  • 向日葵

    家庭内の事、って、なかなか表に出ない分、強い立場の方の
    やり放題になってしまうのでしょう。。
    全てを乗り越えられて、今の幸せを掴んでいらっしゃる。
    お辛い過去は勿論今のぼんぼちさんを作る必要以上の物で
    あったのだろう、と思いますが、この先は、もっともっと
    幸せになって下さいね。好きな事三昧でー!!
    2022年01月10日 20:31
  • mau

    お父さまとの思い出を大切にしてくださいとしか言えません
    2022年01月10日 21:16
  • hirometai

    ぼんぼちぼちぼち様
    いつも記事を読む度に心が痛みます。
    世の中の母親で実娘にこのような虐待をする親がいるのを信じがたかったのですが、事実ですのね。
    世間を知らない娘に 嘘の情報を刷り込ませて許せませんね。
    ぼんぼちぼちぼちさんの苦悩はいかばかりだったでしょう。
    2022年01月10日 21:19
  • yes_hama

    壮絶すぎます。。。
    私なら途中で家出しちゃうかも。^^;
    2022年01月10日 22:05
  • kazu-kun2626

    大変な人生経験を
    されてるんですね
    肥やしにしてくださいね
    2022年01月10日 22:06
  • JUNJUN

    壮絶な人生だったのですね。
    しかし画家になったり、今でもアートで活躍されたり、ぼんぼちさんは才能が豊かですね。
    画家なんて普通、なりたくてもなれない人がほとんどですよ(笑)。
    2022年01月10日 22:29
  • Ja-Kou66

    しかし毎度聞いていて毒の中の毒(こんな言い方もアレですが)
    お金に関しての執着がすごい方でしたね。
    ぼんぼちさんがご自身を取り戻せてよかったです・・・。
    2022年01月11日 00:07
  • 猫の友 メルティー

    ババアに対して殺意を覚えても不思議ではありません。
    耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、よくお待ちになりましたね。
    2022年01月11日 00:55
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    今回の吐露、長かったにも関わらず、読んでいただけ、そして真摯なコメントもたくさんくださり、感謝感謝でやす。
    これまで過去記事で、毒母や父のことを断片的に書いてきやしたが、
    で、読者のかたの中には「ぼんぼちさんのお家は裕福だったのに、なんでそんなに必死に画家になってお金を稼がなければならなかったの?」と疑問に思われていたかたもおられたと思うんでやすが、こういう事情だったのでやす。
    これで、点と点が線で繋がられたとお察ししやす。

    あっしの感情は、この体験をしたあっしにしか解らないもので、
    他の方に「解ってほしい」というのは傲慢だと思うので、「この感情、解って!」とは求めやせんが、もしも解ってくださるかたがいらしたら、こんなに嬉しいことはないでやすね。

    感情面に関してはそうなんでやすが、こういう「事実があった」ということは、みなさんに解っていただきたいでやす。
    何故なら、それが、今現在、虐待されている子供達を救う糸口になるから。
    先ずは、世間が「実の子に対する虐待は存在するんだ」と認識することが、世間から虐待を減らす第一歩になるからでやす。
    虐待は昔からあったんでやす。
    でも、昔は、「親の恥は自分の恥」的な考えがあったので、表面化しなかったんでやす。
    あと、「女っていう生き物は、子供を産むと母性本能というものが芽生えるから、他人の子供であっても殺さない」というおかしな迷信を、警察ですら信じてたということ。

    これは以前も記事に書きやしたが、「母親が実の子を虐待するなんて信じがたい」と思われているかたは、こう考えてくださると理解しやすくなりやす。
    「人格破綻者の女が、だらしのない快楽の結果、子供を産んだ」と。
    ね、こういう言葉で考えると、理解しやすいでやしょ。
    信じがたいというかたは、「お母さんが」と、お母さんという言葉のイメージから考えを構築させようとしているんでやす。
    だからどうしても、「お母さん」という優しくて温かいイメージと虐待とが結びつかないんでやす。
    人格破綻者が、DQNが、あばずれ女が、、、と考えてみてください。
    「ああ、そういう女もいるよね」と納得できやすよ。

    以前、「毒親を持った人の集まる匿名掲示板」に参加していたことがあるんでやすが、
    うちとヘイテイつけ難い毒父 毒母を持った人、わんさかいやしたよ。
    で、あっしが、「自分の毒母はもう死んでくれた」と書いたら、そこに集まっていたみんなに羨ましがられやしたね。
    あっし自身、毒母の脳死を聞かされた時、全然信心深くないのに、「わあっ!神様っているんだ!!」ってキラキラッと光に包まれたような気持ちになりやしたからね。
    あ、でも欲を言うと、あと10年早く死んで欲しかった。
    そしたらあっしは、ファッションの専門学校にも行けたし、成人式にも出席できたのにな。
    まったく「親は選べない」でやすからね。

    でも、父がああいう人だったことは、大きな救いでやしたね。
    少し前の記事で、中高生時代、父に新宿の一流の飲食店に連れて行ってもらった話しを書きやしたが、あれは、単にあっしを楽しませて、あっしとの時間を過ごしたかっただけでなく、暗に「飲食店ではこう振る舞うんだよ」と身をもって教えてくれていたんだなあと、最近になって思いやす。
    というのは、毒母は、あっしを虐待して父に暴言を吐いていただけでなく、
    飲食店での振る舞いというのも最悪な人だったんでやす。
    具体的な例を挙げるとーーー
    喫茶店でコーヒーを頼むと、一分もしないうちにイライラしてくるようで、ウエイターさんやウエイトレスさんの制服をギューッと掴んで引っ張り寄せて「ちょっとお!まだなのっ!」って怒鳴りつけたり、
    メニューにないものをわざと「○○が食べたいから買ってきてちょうだい!」と命令口調で言ったり、
    手の届く場所に灰皿がないと、コーヒーカップのソーサーや料理を食べた後の皿を平気で灰皿代りに使ったり、、、
    だから父は、暗に「ママみたいな振る舞いしちゃダメだよ」って教えてくれてたんだと思いやす。

    才能を受け継いでるねぇ、、、、、
    うん、父からの商才は、明らかに受け継いでやすね。
    というのは、画家の仕事って、画力があるだけではできないんでやすよ。
    効率よく描き上げられる戦略を考えられたり、お客さんが抱いている画家のイメージ像を演じることが出来たり、客受けする作品を狙って描けたり、そういうことが出来ないと、画家にはなれないんでやす。
    つまり、これって「商才」でやすよね。
    あっしはそれが出来たから、なりたくはなかったけど、画家になれたんでやす。
    画家というのは、「たくさん絵を描いている人」や「絵の上手い人」のことを指す言葉ではなく、「絵を描いて売って、それで生活収入を得ている人」を指す言葉なんでやす。
    なので一瞬余談になりやすが、「この人、プロの画家かな?趣味か生き甲斐で描いてる人かな?それとも、プロ目指していて、まだ今はプロにはなれていない人なのかな?」と解らない場合は、この一言を向ければ、返ってくる返事で、瞬時にして判明しやす。
    それは、「画商さんはお元気ですか?」ってさり気なく聞いてみるんでやすよ。
    「はい、元気ですよ。来週、作品を受け取りに来ます」などという返事が返ってくれば画家。
    「いや、えっと、あの、、、画商ってものには、、、ムニャムニャ」と言い淀んだり、「芸術家っていうものは、画商なんかについたらオシマイなんですよっ!」と逆ギレしたら、その人は画家ではなく素人さんでやす。
    画家は画商につかなければ、絶対に食っていけるだけの収入は得られないので。

    毒母から受け継いだことは、ひとつもあるとは思いたくありやせん。
    なにもかも反面教師として見てきやした。

    そうでやすね、今は「自由」の大海原を気ままに泳ぎまくっていて、最高に幸せでやす。
    青春時代にやりたくてもできなかったことを、一つ、また一つと、何十年もかけて実現させてきて、今はそれを全てやり尽くしたので、
    もういつ死んでも悔いはないってくらいに幸せでやす。
    2022年01月11日 10:12
  • drumusuko

    ブログを読んで、驚きました。壮絶な人生、そして大変ご苦労されたんですね~。これからの人生、ぜひご自分のために過ごしていただき、これから、さらにご健康で、お幸せに生きていってほしいと願っております。
    2022年01月11日 10:43
  • 伊閣蝶

    ぼんぼちぼちぼちさんのお若いころのお話を拝読させていただくたびに、言いようのない感慨に襲われます。
    ただ、今回の記事を拝見し、ぼんぼちぼちぼちさんが現在では本当にお心の求めるところを自由に歩かれているご様子を思って、ああ、もしかすると、お父様の優しいまなざしが、いつもいつもぼんぼちぼちぼちさんを温かく包んでいたからなのかもしれない、と感じております。
    それにしても、ぼんぼちぼちぼちさんの強靭な精神力と才能には改めて感じ入りました。
    あの当時、月間30万円を絵画によって得られていた、という事実に瞠目しております。
    2022年01月11日 12:45
  • 青い森のヨッチン

    私小説として発表されるのもいいかも?
    ただお母さんの心の内をどこまで理解して明らかにできるかが難しいそうですね
    2022年01月11日 14:12
  • yokomi

    「毒母」を全て読んだ訳ではありませんが、本当に大変なお母様でしたね。養育費をガメていたり、娘の稼ぎを独り占めしようとしたり、鼻血を出すまで殴ったり、そして豪遊...(>_<) ぼんぼちさんの心は辛く悲しさでいっぱいだったでしょうね。ただ毒母の心の中はどんなふうだったのでしょうか。気になります。特に子供の頃を思えば、お住まいの地域を管轄する民生委員・児童委員は機能していなかったなぁ...と(>_<) そんな大変な毒母で「青春」は楽しめず、不本意な「美術」の道へ進ませられましたが、結果的に今に役立つ「美」の「技術」を習得され、毒母を反面教師としてブログを見る限り素敵な女性に成られたことは嬉しい限りです。遅くなっても「青春」をお楽しみ願います(^_^)v
    2022年01月11日 16:10
  • 暁烏 英(あけがらす ひで)

    大変ご無沙汰してます。
    久しぶりに時間が取れたのでじっくり拝読させていただきました。
     ぼんぼちさんは、逆境にもめげず逞しく生きていますね。大したもんです。頭が下がります。
     青年期、青少年相談員を市から委嘱されたとき、たくさんの不遇な少年少女に出会いました。事実は小説より奇なりですよね。
     私の母は、子供たちにすごい愛情を注いでくれましたが、それはかのじょ自身が幼い時、辛く悲しい体験をしたからでした。
     12歳の時、実母が子供(弟二人)三人を置いて実家に戻ってしまったためです。父親は早逝。姉弟は散り散りになり母は親戚に預けられて育ちました。母50歳のとき、種ちがいの妹の仲立ちで再会したとき、ぼくは小学校5年生。それはそれは映画の一場面を観るような光景でした。「許してくれ!」と畳に頭をこすりつけて泣く婆さんに母は「わたしはあなたを母とは思いません」と突き放しました。
    立場は違いますが、人生いろいろありますねえ。
    2022年01月11日 16:43
  • なかちゃん

    いつ聞いても凄絶としか言えない母親ですね。
    いや、残念ながら、こんなのを母親と呼ぶことを、ボクの脳みそが拒否しています。
    まだお父さんがまともな方で良かったですね(^^;
    2022年01月11日 18:30
  • rannyan

    今年もよろしくお願いします

    その画商さん、ギャラを先に渡せという母上の理不尽な申し出を
    きちんと断ってくれて良かったです
    当り前なのかもしれませんが..
    剣幕に負けて承知してしまったら と思うと('_')
    2022年01月11日 18:48
  • kick_drive

    こんばんは。第6波が収まったたらまたみんなで
    楽しい時間を過ごしましょう。
    2022年01月11日 19:44
  • mayu

    困った親というのは、少なからずいるものですね。
    親を理解するという作業は、難題です。
    私もまだまだ解り切れません。
    2022年01月11日 20:47
  • werewolf

    もう絵は描いていないんでしょうか?
    プロとしてやれた腕前ですから、今度は自分のために描いてみるのもいいかもしれませんよ(^.^)
    2022年01月11日 21:20
  • Inatimy

    血が繋がっていても、家族でも、どうしても分かり合えないって間柄、ありますよね・・・。
    心身ともに解き放たれて今生きてらっしゃること、本当に良かったです^^。
    2022年01月11日 22:58
  • yamatonosuke

    8年間もよく頑張りましたね・・・
    きっと福岡は特別な場所なのでしょう♪
    2022年01月12日 01:09
  • 這い上がるママ

    ぼんぼちさん、私は躁鬱なので娘たちに辛い思いをさせた時期もあり、お母様のお話は身につまされるところもありますが…苦労されたぶん今自由にご自分の思う幸せを謳歌してくださいね。
    2022年01月12日 01:26
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    温かなお言葉、心ある文章、あっしのために時間を割いて書き込んでくださり、ほんとうにありがとうございやす。

    そう、円満な家庭に育たれたかたが漠然と想像されているより、毒親って、世の中には遥かに多く存在するんでやすよ。
    あけがらすさんのお母様もとてもお辛い目に合わされてきたのでやすね。
    そんな親は親だと思えなくて当然でやすね。
    まさに事実は小説より奇なり、でやすよ。
    今、毎日のように、子供の虐待のニュースが流れてやすが、
    ニュースになるのは、つまり発覚するのは氷山の一角なんでやすよね。
    子供が幼ければ幼いほど、それが虐待だと気づけずに、むしろ悪いのは自分だと刷り込まれてしまいやすからね。

    今はもう二度と、絵を描きたいとは思わないでやす。
    何故なら、画家をやっていた頃の辛すぎる思い出が蘇ってくるし、
    プロの画家として、絵を描く=金 という図式ができあがってしまっているので、あっしにとって絵を描く行為は、金を稼ぐこと以外のナニモノでもなくなっているからでやす。
    今は、収入源があってお金には困ってやせんが、今後、もし何かの手段でお金を稼がなければならないとしたら、画家だけには絶対に戻りたくないでやすね。
    やはり、あの地獄の青春時代がフラッシュバックしてしまうに違いないから。
    だから、今は、美術展すら、画家時代を思い出すのが嫌で観に行きやせん。
    今のあっしが、絵と関わりを持つのは、時々「絵を教えてください」と頼みに来る人がいらっしゃるんでやすが、教えるという行為は、自分で作品を描くわけではなく、辛さは感じないので、生徒さんに合わせたお教えかたをしやす。

    なので、あっしが今やってる視覚的な表現は、ブログを観てくださっているみなさんはよくお解りのとおりの、写真という手段でやすね。
    写真に関しては、あっしはズブの素人で、写真にまつわる思い出で辛い思いというのは一つもないので、楽しみながら作品作りができるし、ただでみなさんに観ていただいて、「嬉しいなあ」と感じられやす。完全に趣味としての楽しみでやすね。

    元々は、美術は好きでも嫌いでもなかったんでやす。
    私立の美術中学を受験したのは、毒母に巧いこと騙されたんでやす。
    「おめー、この学校はプールがねーから、おめーの醜いドス黒い肌は、それ以上ドス黒く醜くならなくて済むんだぞー」って。
    当時、肌の色が血色悪く黒いことがすごくコンプレックスだったので、「プールのない学校なら!」とコロリと騙されて受験しちゃったんでやす。
    美術学校であるか否かということは、どうでも良かった。

    で、美術中学に入ったら、何の努力もしなくても、美術が学年でトップの成績だったんでやすね。
    中高一貫だったので、高校も当然美術学校で、高一高ニの時は、代ゼミの美術科の講習会に通ったりと、ちょっとだけ努力しやしたね。
    何故なら、高ニまでは、まだ自分はファッションへ進めると思っていたので。
    ファッションと美術の基礎は同じなので、美術を勉強しておくことは、ファッションの勉強の基礎として強みになるから。
    そういう理由で美術を勉強してたんでやすが、高校でもまた学年トップの成績になって、
    まあ、毒母に、そこを巧く利用されてしまったというか、、、

    だから、高校までは、毎日、放課後繁華街をぶらついたりと、さしたる努力はしてなかったでやすね。
    で、努力をしたのは、プロの画家になってからでやすね。
    18才の新人も何十年もキャリアがあるベテランと、肩を並べて競争して打ち勝っていかなければならないから。
    だからプロになってからは、相当な努力をしやした。
    単純な努力だけでは勝てないので、要領の良い戦略も考え出しやした。
    結果、月30は稼げても、そのお金を自分で使えるわけではないから、ストレス発散するお金もないし、一日18時間仕事してたから、その年齢の少女が遊びたいことなんて、一つもできなくて、それが辛かったでやすね。
    私には青春時代というものが、絵のために全くなくなってしまったので、あれは、戦争に行った兵隊と同じ心情でやすね。
    死ぬほど辛かったからこそ、そのプライドを捨てたらアイデンティティが崩壊してしまう、という。
    この心情、理解出来る人は極めて少ないと思いやす。

    毒母の生い立ちや気持ちはねぇ
    群馬の山奥の寒村の貧しい家に生まれ育って、毎日、ひもじくて他人の畑のものを盗み食いして飢えをしのいでいたそうでやす。
    で、不良少女になって家出して街に出てきたそうなんでやすが、「田舎モン田舎モン」と、ずいぶんからかわれたそうでやす。
    なので、あっしが物心ついてからも、何かというと「田舎モンだと思われたくねえー!」「貧乏人だと思われたくねえー!」と歯噛みしながら吐いてやしたね。
    だけど、だからって、娘を金づるに使っていいわけではないし、飲食店で横暴な態度を取っていいわけでもないし。
    毒母がなぜ、あんな人間になったかというのは、理屈としては解るんでやすよ。
    でも、それに利用される子供の立場としては、たまったもんじゃないでやすね。
    だからあっしは、あの世に行っても、毒母をみぢんも許しやせんよ。
    2022年01月12日 09:51
  • ムサシママ

    普通の家庭で育った私は毒母の存在に衝撃を受けています
    そんなお母さまが本当いらっしゃるんだと。
    でも、お父様のお優しさで救われました
    これからの人生をお幸せに☆
    2022年01月12日 16:58
  • ぼんぼちぼちぼち

    ムサシママさん

    温かなコメントをありがとうございやす。
    家庭の中のことって、なかなか他人様には見えづらいでやすからね。
    とんでもない毒父 毒母って、意外とけっこういるものでやす。
    仰るとおり、あっしは父のおかげでずいぶん救われやした。
    父がああいう人であったことをとても感謝してやす。
    2022年01月13日 08:40
  • TaekoLovesParis

    事実は小説より奇なり、という言葉を思い出しました。
    胸詰まる思いで読みましたが、今がしあわせと書いてあったので、ほっとしました。
    2022年01月14日 00:42
  • ぼんぼちぼちぼち

    温かなお言葉をありがとうございやす。
    あっしは父がああいう人だったので、大きく救われやしやしたが
    世の中には、両親とも毒、たった一人の親が毒、というどうしようもない子供もいやす。
    これからの世の中、社会全体でそういう子供を救ってゆけるようになれば、、、と願ってやす。
    あっしの一連の毒母話しも、そういう方向に向かえるほんの僅かなきっかけにでもなれば、、、と思ってやす。
    へい、あっしは今、最高に幸せで、春真っ盛りのような毎日を送ってやす。
    2022年01月14日 07:48
  • 風の友

    ちょうびっくり!
    現実にそんな母親といか、女性がいるんだということが
    すごく驚きです。
    ぼんぼちぼちぼちさんの忍耐力と生き方に感激です。
    本当に驚きました!
    2022年01月25日 23:58