これまで私は、およそ十年間に渡り、当ブログのカテゴリー「毒母」にて、母親に虐待をされてきた体験を綴ってきました。
結果、多くのかたに そういった現実があった事を理解していただけ、私が綴ってきた事は無駄ではなかったと 実感しています。
そして今回は、それらのまとめとして、より虐待の現実を解りやすく考えていただける考え方を 提示したいと思います。
今現在、週に一度とおかずと言っていいほどに、実母の子への虐待のニュースが、テレビやネットを通じて報道されています。
こういったニュースを聞き・読みして、多くの方は こう首を傾げられているのではないでしょうか?
「虐待があるという事実は認識できる。嘘だとは思わない。 けれど、どうして実のお母さんが我が子を? 何故 お母さんなのに子供にそんなことが出来るの? お母さんなのに、、、そこが理解出来ない、、、」と。
これがもし、他人同士の金銭トラブルでの殺人だったり 人情沙汰の末の殺人だったりしたら、「あー、世の中には、こーいうとんでもない奴っていうのがいるんだよねー。怖い怖い!」と 納得されるのではないでしょうか?
ところが、実母の子への虐待は、「どうして?解らない、、、」。
それは何故かというとーーー
「お母さん」という言葉の持つイメージのマジックにあるのだと、私は分析しています。
言葉には、それぞれ 同じ意味を示す言葉であっても どの語を使うかで、頭の中に広がるイメージが大きく違ってきます。
例えばーーー「サーロインステーキを食べた」と「殺された牛の肉の一部を食べた」は、全く同じ意味の内容を示していますが、イメージ・受ける印象がまるで違いますね。
それと同様に、実母の子への虐待のニュースを知った時、多くの人は、無意識のうちに「お母さん」という言葉の持つイメージで 出来事を組立てようとしているのだと察します。
毎朝、トントンと味噌汁を作ってくれるお母さん。 「学校に遅れるよー」と起こしてくれるお母さん。 おにぎりを握ってお弁当を作ってくれるお母さん。 百点取ったら「偉いねー」と褒めてくれるお母さん。 イジメっ子にイジメられたら慰めてくれるお母さん。 病気になったり怪我をしたら介抱したり手当てをしてくれるお母さん。 自分自身よりも子供を優先して考えてくれた自分のお母さん。 いつも優しかった従兄弟のお母さん。 笑顔で迎えてくれた友達のお母さん、、、、
その為に、多くの人は、頭の中でつじつまが合わせられなくて「どうして???」と なってしまうのだと思います。
試しに、「お母さんが自分で産んだ子供を虐待した」の「お母さん」という言葉を「アバズレ女」に置き換えて考えてみましょう。
「アバズレ女が自分で産んだ子供を虐待した」
どうです?
だいぶ、「どうして???」という疑問は薄らぎ「あぁ、そういうとんでもない女もいるよねー」と 納得できるようになられたのではないでしょうか?
「アバズレ女」は いささか古い言葉なので、お若い方は「DQN女が」と当て嵌めてくださると しっくり来ると思います。
ーーー尚、誤解のない様に一言しておきますが、ここでは、アバズレ女・DQN女をやっていた女性全員が子供を産んだら虐待をする という事を言っているのではありません。
アバズレやDQNでも、子供を産んだら人が変わった様にまともな子育てに邁進する人もいるし、逆に、アバズレやDQNでなかった女性でも、産んだとたんに人格に変調をきたし 虐待に走る人もいると思います。
要は、「お母さん」という言葉のイメージのマジックに惑わされないでいただきたい、その為には、こういった語を当て嵌めてみると解釈しやすいです、という事が言いたいのです。
私が幼かった頃は「スパルタ教育」という言葉が流行りました。
「スパルタ教育」の語の持つイメージは、「正義感の強い知性ある立派な親のやる行為」でした。
幼かった私は、路上やデパート内で しばしば母親に「歩くのが遅せーっ!」「キョロキョロしてんじゃねーよ!」「今、独り言言ったろー!」といった理由付けで、ボコボコに殴られ蹴られ、その場に倒れ込み 鼻血を流していました。
周囲を歩いていた人や店員さんは「なんだなんだ?!」「かわいそーに」と集まって来ましたが、母親が、「この子はアタシの子なんです!アタシが産んだんです!アタシはスパルタ教育で育ててるんです!ほっといてください!!!」と怒鳴り散らすと、倒れ込んでいた私を囲んでいた足足は、スーーッと 潮が引くが如くに離れてゆき、私は「このまま私が死んでも誰も助けてくれないんだ、、、世の中って、そういうものなんだ、、、」と その度に痛感し、そう刷り込まれて育ちました。
ですから虐待の現実がここまで明るみに出ている現在、みなさんが もし 街なかで、かつての私の様な状況に置かれている子供に遭遇したり、近所で、子供の泣き叫び 母親の狂気の奇声 ドスン!バタン!という床や壁に叩きつけられる音を聞いたら、「お母さん」という語のイメージを捨てて 勇気を持って警察に通報して欲しいと願います。
カテゴリー「毒母」にて綴ってきた私の虐待体験記は、今回のまとめ記事を以て 一応 終了とさせていただきたく思います。
非常に微力ながらも、この十年間で 折を見て公開してきた私の虐待体験記が、ほんの僅かでも 今現在虐待されている子供、ひいてはこれから先 虐待される子供が一人でも救われるきっかけになってくれれば幸いです。
加えて、だらしのない性の快楽の末に望まぬ妊娠をしてしまった若い女性に、その女性がどんな女性であるかをよく知りもしないのに「せっかく授かった生命なんだから、産みなさいよ。産めば可愛く思えて何とかなるものよ!」等という無責任な発言は、絶対にしないでいただきたいと 強く願います。
なんとかならなかった事例は、冒頭に述べた通り 週に一度とおかずに次々と判明しているのですから。
この記事へのコメント
ヤマカゼ
実際に体験されたぼんぼちぼちぼち様だから言える記事ですね。
イヴママ
保護された場所、例えば児童相談所とか
そこでも虐待されることがあると聞いて
なんだか悲しい気持ちになります・・・
きよたん
この記事を読み、あまりに酷い場合は警察に通報しようと
思いました。
ラック
りみこ
自分が善であると思い込んで所でしょうね
そして周りを真実を見たくないのかもしれません
殺人って身内が多いですよね
侘び助
目に入れても痛くないと思う親心ですが・・・
多分息子たちは、迷惑なことかも??
(手足纏にならないように生きていきたいですね!(^^)!)
kinkin
自分が20歳の時どこまで大人だったかと問われると「自分は大人だ」と言い切れないけど、20歳頃の自分より、かなり考えが幼いですね。
Take-Zee
説得力がある文章、なるほどなるほどと
読ませていただきました。
扶侶夢
子供を産んだから誰でも母性を持っているのかと言えばそんな事はないのだから、母親といっても鬼の様な母がいても不思議ではないですね。母性神話に踊らされてはいけません。
裕々
子供を虐待から守るには、わずかでも虐待が疑われたら、児童相談所が強制的に立ち入り調査する制度にする必要があるでしょう。
そして軽症であっても暴力の事実があれば、親に刑事罰を科することや、子供を保護することをためらってはならないでしょう。
旅爺さん
なんて言うニュースを何度か見ましたが、子育て能力の無い
女性が居るんですね。男性もね。
ファルコ84
人それぞれの事情や環境があることも理解できます
先入観にとらわれることなく現実を直視し
少しでも虐待がなくなる社会であってほしいと願う次第です。
のら人
リンさん
嫌な過去を嫌な思い出すのは辛かったでしょうね。
しつけのつもりでやったとか、よくニュースで見ますけど、子供を傷つけるしつけなんて絶対にダメです。
横 濱男
確かに、お母さん=優しい。。。ほのぼのしたサザエさん家族が普通だと思っちゃっているんですね。。
生まれてきた子は、求められて生まれて来たのか、そうでは無いのかで、大きく変わっちゃいますね。。
フヂ
私の母は世間一般の「お母さん」のイメージに
さほど当てはまらないので、虐待の話などを聞くと
「信じられない」とまでは思ったことはありません。
毒母ではないけど、私と母はあまり相性は
良い方ではないため、実家を出て距離感を
保っている方が平穏に過ごせている気がします。
この世から虐待が全てなくなればいいのに…。
Boss365
成る程です。言葉の持つイメージに騙されてはいけませんね。最近見た光景ですが、某C国の方がデパートで、駄々をこねる子供を何度も蹴っていました。日本では最近見ない風景だったので唖然として何も出来ない状態。注意しなければいけない事と再認識です!?(=^・ェ・^=)
ニッキー
確かに「お母さん」という言葉は「母は強し」で
子供を守るのに一所懸命になるイメージがあります。
虐待、自分の子供だけでなく自分よりも弱いものを
虐めることが出来るのが「なぜ?」と思います。
八犬伝
アバズレと言葉を置き換えれば、理解しやすいですね。
「スパルタ教育」流行りましたね。
さて、今は
どんな言い訳になるのでしょうかね?
産めば何とかなる
そうは、ならないですね。
そらへい
読む方としてはショックでしたね。
werewolf
結局『虐待』ではなかったようなのですが、二度とあんな電話したくないものです。でも、もし見かけたらしないわけにもいきませんしねぇ。
KINYAN
血のつながりとは何か考えさせられます。
リス太郎
風船かずら
ChatBleu
親にとって子供を育てるのは初めてのことで思うようにはいかないのかもしれないけれど、子供はその状況を受け入れるしかないんですよねぇ。
mau
猫の友 メルティー
こどもを虐待して死にいたらしめておいて、死ぬとわかっていて死なせて、判決はどうしてこんな程度なの?
サンダーソニア
そういう環境を抜け出せなかった子供たちを
救いたいですよね。
親元にいるのが一番いいだなんて
考え方が根底にあるから
死なずに済むはずの命が
失われてしまっています。
yokomi
言葉の持つイメージ、確かに大切ですね。騙さぬよう、発するときは十分注意したいです。難しいですが(>_<)
這い上がるママ
hirometai
おはようございます
虐待のお話は今回で一応区切りとされるとされています。
この境地になられるには大変だったと思います。
信じられない虐待のニュースが次々と報道されています。
自分も認識のないまま大なり小なり子供に虐待をしていたのだと反省しています。子供から笑いながら言われて、そう感じていたのかとかと今頃謝っています。(;_:)
kyon
人としての本質が腐りきった母親もいれば、ストレスなどのために子供(弱者)に当たり散らす母親もあるでしょう。
被害者である子供にも、苦しんでいる母親にも、救いの手を差し伸べられる世の中であって欲しいものですね。
エンジェル
ぼんぼちぼちぼち
あっしの説明が解りやすいと感じてくださって、良かったでやす。
この説明で適切だったんだな、と ほっとしてやす。
のみならず、みなさん、あっしが直接記事上で書いたこと以上のことまで色々と解ってくださってて つくづくカテゴリー「毒母」を書いてきたことは無駄ではなったと実感してやす。
そう、世の中いろーんな人間がいるんでやすから、「母親」という立場になったって、いろーんな母親がいるんでやす。
母親になったからといって、産んだとたんに母性本能がほわほわほわ〜と湧き上がってくるなんて、まさに幻想でやす。
人間は、とうに本能の壊れた生物だと言われてやす。
だって、男性にしても、本能がきちっと備わったままなら、尻のドテーッと大きないかにも沢山子供を産みそうな健康そうな女性にだけ性欲を感じる筈でやしょ?
それが現実には、小鹿のような華奢な美人に惹かれる男性がいっぱいいる、、、
これだって、本能が崩壊している証拠でやす。
「血のつながり」「血を分けた子供」こんなのも幻想でやすよね。
生物学的に血が繋がっているからといって、それが人間として愛し合える要因などになる根拠にはなりやせんね。
愛し合える家族というのは、いくつもの共同体験を経る中で、それがプラスに働いたケースだけだと思いやす。
そう、虐待する親っていうのは、精神的に幼児なんでやすよね。
自分の思い通りにならなければ、暴れて弱い者を叩いて 傍で聞くとどう聞いても矛盾している理由づけをして、自分の思うがままにしようとする。
自分中心に世界を回す幼児親に、子育てなどできるわけないんでやす。
そして、「躾け」「スパルタ教育」というのは、虐待をやるための巧い隠れ蓑だったわけでやす。
殆どの毒親は、それがほんとうにその子供のためだと思っていても傍から見ると虐待、というより、本人からして虐待をしているという自覚があると思いやすよ。
ほんとうに愛情があったら、怪我をしたり死んだりするまで、殴る蹴るできないでやしょう。
周囲に向けて「これは躾けのためにやっているんですから!」といえば自分は善という立場でいられるから、あるいは自分自分をも「これは躾けなんだからやってもいいんだ」と自己暗示をかけている。
あっしの母親なんて、家の中では「おめーを殺して(刑務所に)ぶちこまれたって、『この子の為を思ってやったスパルタ教育が過ぎました』って嘘泣きすれば、すぐに出てこれるんだあっ!」と言いながらあっしを殴ってやしたから。
で、表で殴るときは「アタシはスパルタ教育で育ててるんですーっ!」と偽善者ぶる。
親の子に対する虐待以外にも、虐待をする人間って、虐待をすることで脳から快感物質が出てストレス発散になってスッキリするらしいでやす。
実母の子に対する虐待、あっしが幼少の頃は、警察ですら「女には母性本能というものがあるのだから実の子を虐待などするわけがない」とよく調査すらしない時代でやした。
今現在の段階、虐待が発覚して一旦保護されても、返してはいけない親に返してしまったりと、まだまだでやすが、あっしが幼少の時代よりは、虐待の現実があることを認識してくださる世間の人も殆どになり、ほんの1歩でやすが、前進したと感じてやす。
公害問題や女性差別問題も、時間はかかりやしたが、たくさんの人の呼びかけと努力で以て改善できやしたよね。
だから、あっしは、戦争から生きて帰ることができた兵士が、死んでしまったり取り返しのつかない後遺症をおってしまった同胞がいるんだ、だから戦争はこんなに悲惨でもう繰り返してはならない、と報告せずにはおれないのと同じに、虐待の事実をそれをリアルに知らない人に伝えたかったのでやす。
結果、時間はかかるでやしょうけれど、虐待のない、世の中全体で子育てをしてゆける時代が来ることを強く願ってやす。
けせらんぱさらん
やっている人たちは 正しい事をしている 間違っていない
自分もこういう風に育てられた と思っているので
何を言っても聞く耳持ちません
少しずつでも こういう事が無くなる様になって欲しいです
sig
今回のカットは、ネコ好きな私にはネコちゃんの瞳に見えますよ。
kick_drive
もしも親になったとしたら虐待に近いことをしそうな気がします。
今日もニュースで虐待した親が逮捕されていましたが
正直なところ、半分虐待してしまう気持ちが分かります。
要するに向いていないんだと思います。よそ様の子はその時だけですが、自分の子はずっとなので嫌になりそうな気がします。
ぼんぼちさん自身が今回の記事で壮絶な過去と決別し今まで以上に
前向きに楽しいことに向き合っていただければと思います。
poko
ニュースにならないけど虐待をうけて辛い思いをしている子供がまだまだいるんだろうなとも思います。子供が虐待によって命を奪われたり傷つけられたりする事のない世の中になる事を願いたいです。
sakamono
世界は言葉で出来ているんでモノね。
ぼんぼちぼちぼち
そうでやすね、虐待やハラスメント、やってるほうは「やったっていいんだ」くらいの軽い気持ちや自分を正当化する理由づけをしてやってるんでやすよね。
あっしの母親なんて「アタシが産んだんだから売ろうが殺そうがアタシの自由だ」と 当たり前の顔して言ってて、事実、あっしをソープに売る交渉をしに行ったり 弟が母親のために働きすぎて心身ともにボロボロになった時、見殺しにしようとしやしたからね。
もし逮捕されたら、逮捕する警察や法律のほうが間違ってると信じてやまなかったようでやす。
仰るとおり、子育てには、向き不向きがありやすよね。
それぞれの職業に向き不向きがあるのと同じように。
昔、3代にも渡って一つ屋根の下に住む大家族が普通だった時代は、母親もしくは父親に育児能力がなかったとしても、家族の他の者が育ててくれたんでやすよね。
だから、虐待は、核家族になった時代の負の副産物とも言えるでやしょうね。
でやすから、自分が子育てに向かないな と思ったら、結婚しないか しても子供を作らない条件で結婚するか、が望ましいでやすね。
あっしは二度結婚はしやしたが、二度とも「子供は作らない」という条件で結婚しやした。
あっしは、子育てというのをどうやっていいのか解らないんでやす。
自分がやってもらった事のないことって出来そうにないんでやす。
だから、あっしも子育てに不向きな人間でやす。
男も女も、今は色んな生き方の選択肢があるのだから、昔の「当たり前」にとらわれて不向きな生き方をする必要はないと考えてやす。
自分に向かない無理な生き方をすると、自分も周りも不幸になってしまいやす。
あっしが30才くらいの時、40代くらいの男性に、人生設計を聞かれたので「私は結婚はしてみたいと思ってるけど、子供だけは絶対に産みたくない」と話したら
「子供を産んで育てるなんて、猫でも豚でも出来るんだよ。アンタは猫や豚以下だね!」という言葉をぶつけられやした。
こんな現実認識の低い人間が世の中にいるから、なかなか虐待が減らないんだと怒りでいっぱいになりやした。
人間が人間を人間として育てるって、そんな簡単なものじゃないでやしょ。
こんな認識の人間はまだまだいるのかも知れやせんが、少しづつ少しづつでも、虐待の現実を理解してくれるひとが増え、そして虐待のない時代に進んでほしいでやす。
hana2020
それは我が母の、私へ対しての子育てにしてもです。
人なんて勝手なもの、自分が一番可愛いから、そんな絵にかいたようなお母さんがいる訳ありません。
子供を産むことは簡単です。でもそれからが長い、自由のない、孤独な作業の連続だから、子育て中のお母さんに同情する気持ちもありますが。。子供は家を、親を選んで生まれてくる訳ではないところが辛いのです。
ぷち
「サーロインステーキ」の例えなど、すごくわかりやすかったです。
子供は、それでもお母さんと思うところもあるので、
近所や周りの大人が、気になったらSOSを出してやっていかないと
いけないなと思いました。
めりー
私も一生懸命子育てしてきたつもりでも娘から
「ママなんて大嫌い」って言われたことあったし、
私自身も今同居している年老いた母に対して
昔いろいろあったことを今さら思い出したりして
同じ母という立場で考えた時
なぜそういう態度しかできなかったの?っていう思いが
今さらながらこみ上げてきたり(笑)
ブログというツールで過去を放出し前に進もうとする
ぼんぼちさんの姿に心を動かされました。
サンフランシスコ人
カルロス・ゴーンみたいですね.....
ぼんぼちぼちぼち
あっしの説明を解りやすいと感じてくださって 嬉しい限りでやす。
どういう説明をしたら、今回言いたかったことの内容が解りやすく伝わるのか、かなり前から考えてやした。
そう、人間って完璧ではないから、自分より子供を優先して子育てしてくれる母親って、実はごく少数なのかも知れやせんね。
現実には、犯罪になるような虐待をする母親と 自分より子供が大切と慈愛溢れる母親の二種類だけが存在するのではなく、その間に 虐待とも言えないけれど自分のことばかり考えて子供は二の次だ というような母親はいっぱいいるのだと思いやす。
もしかしたら、そういう母親が一番多いのかも知れない。
もしも正確に統計を取ることが出来たとしたら、棒グラフで山型の形が出来るような。
虐待をする人間に限らず、犯罪を犯す人の多くは、自分は正しいとか 傍から見ると屁理屈以外の何ものでもない自己中心的なおかしな理屈をつけて 自分のほうが被害者だと思ってるらしいでやすよ。
あっしの母親は、妊娠させた父親と産みたくもないのに産まれてきた子供が加害者。だから、被害者である自分(母親)は加害者に何をしたっていいんだ、それが正しいんだ と言ってやした。
多くの犯罪者の心理って、そういう構造をしているらしいでやす。
つまり、常軌を逸してエゴイズムが強いんでやすね。
人間の心理構造を変えるのは、極めて難しいから、虐待をした親に子供を返しても、また虐待してしまう確率が非常に高いと思いやす。
だから、行政・保護施設も、そのあたりまで深く理解して立ち入ってほしいと思いやす。
Ginger
ぼんぼちさんの勇気を誇りに思いますよ!!
藤並 香衣
「親の言う事を聞かない」
というのが親の言い分でした
幼い子供が親の都合を考えられるわけもないのにね
毒親にとって【躾】というのは魔法の言葉で
なんでも許されると勘違いするんでしょう
ぼんぼちぼちぼち
仰る通りでやす。
今の時代、虐待が発覚した時 逮捕まではいっても、その後の刑が軽すぎやすよね。
人間が人間の生命を奪ったり、半生を地獄にしてしまうのでやすから。
子は親の所有物、、、まだまだそんな認識が残っているのでやしょうね。
遺伝子が分けられて出来た子供といっても、一人の別の人間。
どういう立場の人間であっても、一人の人間の人生を踏みにじるなんて許されることではありやせん。
近い将来、刑がもっと重くなることを願ってやす。
ぼんぼちぼちぼち
仰るとおり、親の言う事を「はいはいはい」って何でも聞く子供なんていませんよね。
泣いたりバタバタ走ったりして、そうやって徐々に社会を学んでいって大人になるんでやす。
勿論、飲食店などで騒いだら注意するのが親の務めなわけでやすが、
ほんとうに子供のためを思っての躾けであったら、虐待という範疇までいくわけないんでやす。
そう、「躾け」という言葉を使えば何をやったって許されると、まさに都合の良い魔法の言葉として、つまり虐待の隠れ蓑として使っているんでやすよね。
虐待している最中、冷静になって、今やっていることはほんとうに子供のためを思ってしている行為なのか、単に自分のむしゃくしゃを晴らすためのサンドバッグにしているのか、よく考えていただきたいでやすね。
こじろう
この考え方って怖いな。
育てる覚悟,いや産む覚悟さえないのに,流されて産んでしまうのは・・・。
様々な事情があるんだろうけど,ちょっと悲しいな。
らしゅえいむ
落とし物の記事に
コメントありがとうございました。>^_^
ぼんぼちぼちぼち
怖いでやしょ。でも事実、こういう無責任過ぎる発言をする人っているんでやす。
あと、あっしが上のコメント欄で書いたように「子供を産んで育てるなんて、猫でも豚でもできるんだよ」と したり顔でいう人。
そういう人達は、次々と起こりつつある虐待のニュース見てないの?
現代社会の何を見て生きているの?と呆れ返りやす。
ぼんぼちぼちぼち
納得できる話と感じてくださって、この説明のしかたで良かったんだなと ほっとしてやす。
現場で実体験をしたことのない人に納得してもらうことってとても難しいので、どういう説明をするのが適切なのか、かなり長い間考えてやした。
ライス
とても理解しやすく、納得しました。
(似たような体験もあります)
結婚して、子供ができて、家族のために頑張る、なんていう、
幸せの形を固定化した考え方、周りに流された結果が、
子供への虐待や、家族・会社でのハラスメント、不倫などの
原因じゃないかと思うときがあります。
ぼんぼちぼちぼち
ライスさんも似たような体験をお持ちなのでやすね。
仰るとおり、幸せというものの固定概念、大学→就職→結婚→子作り こういう世間一般で言われている幸せのルートを辿るのが自分も幸せなのだと、深く自分と向き合わずになんとなく歩んでしまう。
で、はたと気づいたら、自分も家族も幸せではなく不協和音に苦しんでいる。
果てに、憂さ晴らしの虐待 不倫、、、
こういう人、少なくないと察しやすね。
自分が、世間一般で言われている幸せというものに当て嵌まる人間なのかそうでないのか、今は様々な生き方が選べる時代なのだから、よく考えてから踏み出してほしいでやすね。