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毒母が強要した私の結婚相手の条件

今回は、私の毒母が、私が25才になった時に強要してきた 私の結婚相手の条件の話しを吐露しようと思います。
長く私のブログを読んで下さっている方々は十二分にお解りの事と思いますが、最近になって読者になってくださった方や 初めてこのブログを読まれる方は 訳が解らないと感じられるとお察しするので、先ず簡単に、私が産まれてから25才まで母親にされてきた仕打ちを説明したいと思います。

母は、子供嫌いだったにも関わらず、モテた父を独り占めしたいが為に、父の気持ちに反して 強引に 出来ちゃった結婚ならぬ産んじゃった結婚を決行しました。「これ、アンタの子だから責任取ってよ!」と。
したがって母は、本妻の座は獲得したものの 父の女性好きは変わらず、複数人 愛人さんを囲い、その苛立ちと 私を産んだ事への後悔を、全て 私への心身ともの虐待という形で私にぶつけて 憂さ晴らしをしていました。

私が18才になった時、結婚時の約束通り、父は母と離婚し 愛人さんの一人を本妻にしました。
私は、高校を出たら、ファッションの学校に進み 卒業したら舞台衣裳を作る仕事に就くのが幼稚園の時からの夢でしたが、母は私に「画家になってアタシに月々100万渡せ!」と強要してきました。
母の言い分は「別れたパパからは家をもらっただけで月々の金は一銭も受け取らないから、おめーがアタシを養え!18過ぎたら子供が親を養うのは当たり前の親孝行だ!」という事でした。

物事ついた頃から心のどこかで疑問を感じながらも 絶対的強者として母に対していつも怯えて 自分の考えのほうが間違っているのではないかと考えていた私は「確かに ファッションの専門学校で勉強をし 学費と生活費を払い、その上で月々100万を母親に渡すのは無理だ、、、」と 仕方なく母の言いなりに画家になりました。

何故 母が私に画家という職種を強要したかというと「好きな仕事をして親を養うのは親孝行にならねぇ!嫌いな仕事をしてこそ親孝行だぁっ!」という持論で、後々思い返すと、それも精神的虐待の一つだったのでした。
悲しいかな事実、美術高校を出たばかりの18才の私にまとまった金を稼げるのは、絵を描く事しかありませんでした。

画商と契約をし、日曜も盆も正月もなく 来る日も来る日も毎日18時間 寝る前も惜しんで画家の仕事をしましたが、どう頑張っても月に30万前後しか稼げませんでした。
母親は、30万のうちの殆どをむしり取り「18になって100万稼げないなんて何てダメな親不孝な娘なんだ!」と 般若のような顔でののしりました。

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そんな生活が続き、私が25才になった時ーーー
母は、突然 こんなことを怒鳴りました。
「おめー!25才になっても結婚してねーなんて、世間体が悪りぃー!アタシが猶予を与えるからその間に出逢いから入籍までやって来ーい! んでっ、おめーの結婚相手の条件は、、、」
条件は、以下の通りでした。

1. そいつ(結婚相手)は自分の嫌いな事を仕事にして 月々100万アタシに仕送りする事!
好きな事を仕事にして稼いだ金は、200万だろうが300万だろうが親孝行にならねーっ! 必ず嫌いな事を仕事にする事!
2.  嫌いな仕事で100万以上稼いだら、200万でも300万でもアタシに渡す事!
100万以上稼いだからって、洗濯機 冷蔵庫 テレビ アイロン エアコン 家具 なんかの贅沢品を買ってはならねぇ!
四畳半一間のボロアパートに住んで ちゃぶ台代わりにみかん箱を使え!(ーーー時代は1980年代半ば、庶民の殆どの家庭に普通に電子レンジまである時代でした)
3. そいつの見てくれは、元野球選手の江本みたいな男がいいーっ!
ジュリーみたいに背が低くて気持ちの悪りぃ顔の男を連れてきたら 追ん出してやっからなーっ!(母親は、私がジュリーのファンだと知っていたから)
4. そいつの両親や兄弟には、一度たりとも逢わねーっ!
5. 子供が産まれても 一度たりとも連れて来るなーっ! アタシは昔っから子供が大っ嫌いなんだーっ!
6. 結婚式・披露宴を挙げるなんて、とんでもねぇ親不孝な行為だっ!
そんな金があるなら全額アタシに渡せーっ!
毛玉の付いたカーディガン一枚の普段着で、籍だけ入れに行けっ!
7. 猶予は一週間! おめーに一週間時間をやるから、その間に この条件に当てはまる男を見つけて入籍までやって来い!
その一週間だけ、画家の仕事はやらないで宜しい!

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私は、怒りで反発するのを通り越して、呆れ返って返す言葉もありませんでした。
加えて、偶然 上の母の条件発言と前後するタイミングで、母は父から30万より遥かに多額の金を月々送ってもらっており、父は私にも まとまった金をくれていたのを、母は私に秘密で一人でがめていた事も発覚しました。

私は、これまで自分がやってきた事のあまりの馬鹿馬鹿しさにハッキリと気付き、もう母に怯えるのは止そう! 猿回しの猿のように、心で泣きながら 毎日言いなりになって自分を犠牲にするのは金輪際終わりにしよう! 強くなろう! と心に決めました。

そして、画家の仕事は画商との契約があるので、プツンと辞める訳にはいかないから、徐々に受ける注文を減らしてゆき、辞められる時が来たら辞めさせてもらおう。
画家を辞められた時点で、父からもらった金を元手に家を出て一人暮らしをしよう。
母親には、今月からもう金を渡すのは止めて、家を出るまでの間、やりたくても我慢してやらなかった 喫茶店でくつろぐ事や原宿で買い物をする事やライヴハウスに音楽を聴きに行く事を、仕事を減らした時間で楽しもう!と思い、それを始めました。

すると母は「当たり前の結婚すら出来ねーなんて、おめーはなんてダメな親不孝な娘なんだ! アタシは世界で一番、みじめでかわいそうな母親だ! これじゃあ産み損だっ!」と 大仰に 悲劇のヒロインぶって泣きわめきました。
それまでも、幼かった私を「産みたくもねーのに勝手に産まれてきやがってー!」と 私の記憶がなくなるまで殴り続けたり、奇声をあげながら ヤカンを床に投げつけては又拾って又投げつけて、、、を2、3時間繰り返したり、と メチャクチャな人でしたが、それに幾重にも輪をかけたようなキチガイじみた言動に及ぶようになりました。

普通に立って歩ける状態なのに「熱が42度あるから入院させて下さい!」と 救急車を呼んだり、私が二階で仕事をしていると「娘が家じゅう破壊してアタシに包丁を突きつけています!殺されそうです!助けて下さい!」と パトカーを呼んだり、「ウチには18過ぎた娘がいる。買い取ってくれ。安くてもいい。嫌がって泣き叫んでも構わずに縛って連れてってくれ」と 隣街のソープに交渉に行ったり、私が冷蔵庫をかがんで覗いていると、「ギャーーーッ!」と言いながら走ってきて、私に馬乗りになり 私の髪をぎゅうぎゅう引っ張って「おー!おめー! 女同士 アタシと対決しよーじゃねーか!」と 意味不明の挑戦状を叩きつけてきたり、何にもぶつけていないのに、片手の手の甲をさすりながら「ほーら、見ててごらん。今に見る見るアタシの手は黒ーくなってくるよ」と 奇妙奇天烈なつぶやきをしたりするようになりました。

私が家を出て約1年後、母はクモ膜下出血で突然死に、私は別世界の如く静かになった家で再び暮らす事となりました。
後、私は好きになった人と結婚をして 嫌になったら別れて、、、を自分の意志で二度ほど体験し、今は一人で 自由気ままに生活をしています。

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この記事へのコメント

  • 風太郎

    人生紆余曲折の連続。
    でも、振り返ってみれば真っすぐな道だった、という諺があるそうです。
    いまあるのは、過去のお陰です。
    2020年01月31日 06:06
  • ヤマカゼ

    あら、また辛いことがありましたか?
    自分の人生の暗い部分はなかなか忘れることはできないと思いますが、前を向いていきましょう。
    ぼんぼちぼちぼち様の絵画を一度見てみたいです。
    2020年01月31日 07:12
  • ニッキー

    「虐待」という言葉しか浮かんできませんが
    ぼんぼちぼちぼちさんが、途中で自分の人生を
    取り戻せて本当に良かったです(_ _)
    2020年01月31日 07:14
  • 斗夢

    よく我慢をしましたね!
    わたしなら18になったらさっさと家出していたでしょう。
    2020年01月31日 07:23
  • なかちゃん

    何度聞いても反吐が出そうな母親(ゴメンね)ですね。
    ま、そんなことをやってたから突然の死は報いとも思えますけどね。
    その分今が自由なぼんぼちさん、ゆっくりと、ゆ〜っくりと人生を楽しんでくださいね(^^)
    2020年01月31日 08:25
  • 青い森のヨッチン

    是非、体験談を手記にして出版してください。
    虐待サバイバーの方のお話は色々考えさせられるものが多いですね
    2020年01月31日 11:11
  • Rchoose19

    実は私も子供あんまり好きじゃないっす。
    話して通じる相手じゃないから、苦手ですわぁ・・^^;
    そして昔っから思ってたんだけど
    うちの親も二人とも子供好きじゃなたっかみたい・・
    自分ちの子供はともかく、親戚の子供や
    子供の友達の扱い方が普通の親とはちょっと変わってた・・・
    でも、虐待されてたわけじゃなくって、無関心だったみたい。
    2020年01月31日 12:46
  • Take-Zee

    こんにちは!
    大変な青春期でしたね・・・
    お母様のお話は伺っています。
    2020年01月31日 12:49
  • 八犬伝

    いつもながらに
    壮絶な世界だったのですね。
    精神的に病んでいたのでしょうね
    でも、それを子供に強要しては
    どうしようもないですね。
    2020年01月31日 19:42
  • 横 濱男

    自分だったら、精神力が持たないかも知れない。。
    2020年01月31日 20:43
  • ヤッペママ

    どんな思いで過ごされていたのでしょう?
    2020年01月31日 21:38
  • yes_hama

    壮絶ですね。。。
    それにしても、18歳で30万稼がれたことが凄い。
    並々ならぬ努力だったことでしょう。
    2020年01月31日 22:07
  • KINYAN

    そんなことをする母親に耐えた、ぼんぼちさんの気持ちは計り知れないと思うだけで申し訳ありません。
    それ以上の言葉が見つからないほど記事の内容です。
    2020年01月31日 22:18
  • nikki

    小説か何かになりそうなストーリーですね。

    自分だったら絶対家出します。
    2020年01月31日 22:36
  • ぷち

    自分の辛さなんて、ちっぽけなんだと思ってしまいました。
    自分ならどうするか、壮絶すぎて想像ができないです。
    2020年01月31日 22:51
  • 這い上がるママ

    理不尽ですね。失礼ながらぼんぼちさんのお母様も何らかの精神疾患を患っておられたのかもしれませんね。
    2020年01月31日 23:33
  • 英ちゃん

    うちもね、ぼんぼちさんほどじゃないけど父親が酒乱だったので結構苦労はしましたよ(゚□゚)
    2020年01月31日 23:43
  • werewolf

    なかなか『助けて』って言えないですよねぇ。
    今幸せですか?そうであってほしいです(^.^)
    2020年01月31日 23:44
  • sana

    想像を絶する体験ですね。
    子供のころのつらいご様子は痛ましくて…よくぞ生き延びられました!
    100万円稼げと強要されたからってなかなか稼げるもんじゃない。
    すごいです。
    しかし、結婚相手の条件って、あるわけないのに~妄想?狂気の域…
    脳に何かできてでもいたのか…
    それまで強要された生き方と決別できて、本当によかったです。
    2020年02月01日 01:27
  • 藤並 香衣

    僕のところは当時の平均的な家庭ではありましたが
    二十歳を過ぎて少し経過すると周囲の人に
    「うちの娘は甲斐性なしで年頃になっても彼氏一人いない
    良い人がいたら紹介してもらえなか」と言って歩いてました
    なんでも占い師に「早く嫁がせないとダメだ」と言われたらしい
    女子高を出て社員の八割が女性の会社に勤めて
    「ナンパしてくるような男はダメだ」と言っておきながら
    どこで知り合えと言うんだと呆れたものです(^^;)
    2020年02月01日 01:30
  • サンフランシスコ人

    「 100万以上稼いだからって、洗濯機 冷蔵庫 テレビ アイロン エアコン 家具 なんかの贅沢品を買ってはならねぇ!」

    贅沢品???
    2020年02月01日 03:01
  • 向日葵

    うぅ~~ん。。
    言葉がありません。。

    今のような時代だったら、「外」からの介入もあって、
    ぼんぼちさんのような立場のお子さんは、もう少し
    救われていた、と思いますが。。

    「幸せ」と言える今がやって来て本当に良かったです。
    2020年02月01日 03:29
  • もーもー

    お母様が  今も健在じゃなくて・・・
    それだけが救いですね
    可哀そうな  お母様だったんでしょうね
    そんな  辛い過去があるから
    今が  小さなことでも  幸せを痛感できる
    そう思いたいですね
    私の父は  働かない父だったので・・・本当に貧乏でしたが
    お陰で  子供達は  自立心が育ちすぎました((+_+))
    2020年02月01日 08:28
  • サンダーソニア

    その搾取していたお金は何に使っていたのでしょうね?
    これからはと言うか今は楽しく生きられそうですか?
    2020年02月01日 09:37
  • ponnta1351

    失礼ながら母上は尋常な人ではないですよね。
    言葉使いからしてどこのお生まれでどのような育ち方をしたのでしょう?

    それにしても18歳の少女が絵を描いて30万円も収入があったなんて。
    今は人生を謳歌してお幸せで良かったですね。
    2020年02月01日 10:20
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    とても長い記事だったにも関わらず、読んでいただけて心の底から感謝感謝でやす。
    そして、温かなコメント、ありがとうございやす。

    あっしがこうして、母親に虐待された過去を時折記事にしているのは、あっし自身が吐露してスッキリしたい という気持ちの他にもう一つ、あっしが体験した虐待という事実を一人でも多くのかたに知っていただいて、世の中から虐待が少しでも減ってほしい という願いもありやす。

    戦争に行って、たまたま運良く生きて帰って来られた人は、自分は一抜けできたから戦地で死んでいった同胞のことなんてどうだっていいとは思えない、戦争の現場がどんなだったかという事実を知らない人にも知ってもらわねば!と思うと思うんでやす。
    それとまったく同じ心理でやす。

    おかげさまで今現在のあっしは、幸せいっぱいストレスなしの生活を送ることができてやす。
    あっしの辛さは完全に過去完了となりやした。

    あっしが受けた虐待の話しは今回で一応終わりで、来たる2月12日に、「虐待という現実を解っていただくために」という まとめ的な記事を公開しやす。
    それで、虐待の記事は完了させようと考えてやす。

    最初は書籍にして出版することを本気で考えていたんでやすよ。半自費出版という形で。
    で、半自費の書籍を作って書店に並べる手続きまでやってくれる出版社の編集部に何度も足を運んで話し合ったのでやすが、
    出版社側の言い分としては、趣味など楽しい話題の本なら売れやすいけど、こういう重い内容の本は売れづらいので乗り気にはなれない、と言われたことと、半自費で書籍を本屋に並べてもらうには、最低でも500万から600万はかかって、売れ行きが良くなければ もっと何百万か追加料金を払って書店のいい場所に並べてもらう、ということでやした。
    あっしは、買っていただける可能性に対してあまりに金額が高いし、先の編集者の言葉もあって、出版はあきらめやした。

    新宿の模索舎のような 完全自費出版物を置いてくれる書店であればもっと安く出来たのでやすが、模索舎のような書店は全国でもとても少ないし、そういう書店を覗いてくれる人は、ごく一部の限られた人なので、あっしの様々な人達に知ってほしい、という意図とはズレが生じてしまうので、これもやめやした。

    そうこうするうちに、ブログというものが出現し、友人を通してブログがどういうしくみのものかを知り、今の時代なら書籍よりブログのほうが不特定多数の多くの人に読んでいただける!と判断し、このブログを立ち上げた次第でやす。

    最初は虐待されたことだけを時系列で書き綴っていこうと考えていたのでやすが、それでは、元々虐待に関心がある人にしか読んでいただけないし、重い話ししか書いてないブログは、読んでくださる側もきついだろうと察し、楽しい話題や写真の合間合間に織り交ぜる形で虐待記事を入れ込んだのでやす。
    なので、カテゴリー「毒母」だけを読んでいただくと、あっしが書籍にしようと考えていたこととほぼ同じ内容が掴めるしくみとなってやす。

    今あるのは過去のお陰、、、それは違いやす。
    今のあっしがあるのは、「父があっしにたくさんお金をくれたおかげ」ただその一つの理由でやす。
    あっしは、父からたくさんお金をもらったことで、欲しいものを何でも買え、自由な時間も手に入れることができ、やりたかった方面の勉強もやれ、幸せに至ることができやした。
    今あるのは過去のお陰、というのは、「そう思わなきゃやってられないよ」「そう思い込むことで自分の人生これでよかったんだと安心しよう」という自己暗示にかけて幸せだと思い込む思考でやすよね。
    そういう思考をすることで幸せになれる人はそう考えればいいけれど、あっしは、そうは思えないし思いたくもありやせん。
    事実を事実として受け入れることしかできやせん。
    人生が一本道のわけないでやす。
    悪いほうにまがりくねったまま生命を絶たれてしまう人間だってたくさんいやす。
    幼児が虐待死したニュースとか、しょっちゅうご覧になっているでやしょ?
    そういう子供達の人生、一本道だと思えやすか?
    あっしはたまたま運良く、母親が死んでくれて、父がお金を稼ぐ人だったから、人生後半は幸せを掴むことができただけでやす。
    何を信じるかを他人に強要してはいけないのと同様、思考も強要すべきものではないのではないでやしょうか?
    2020年02月01日 11:12
  • あとりえSAKANA

    お母様から虐待を受けてきた、という
    ぼんぼちぼちぼちさんの話を聞くと(読むと)
    溜息しか出ません。でもお母様から解放されて、
    自分の人生を謳歌されている、というのを読むと、
    ホッとします。
    これからもぼんぼちぼちぼちさんの人生をどんどん
    歩んで下さい。
    2020年02月01日 13:48
  • ファルコ84

    人にはそれぞれ波乱万象はつきものですが
    お母さまとの関係、よく耐えられましたね想像もできません
    今の自由気ままな生活を大事になさってください。
    2020年02月01日 14:57
  • okko

    最初に貴女のブログを拝見したときに、大体の体験を語っておられたので、母娘の関係は理解出来ているつもりです。
    お母さまも、そんな育て方しか出来なかった方、と思えばお気の毒な方だったなぁと思います。
    受けた行為だけで、判断しないでお母さまの気持ちも、少し・・ほんのチョッピリでいいから、考えてあげる度量を持ってね。
    2020年02月01日 16:55
  • Ginger

    知ってはいても、壮絶・・戦慄・・今のぼんぼちさんでいられること、畏敬の念を抱かずにいられません。うんとうんと幸せになってね!唯一、ジュリーが好きな少女だったってこと、ほっこりしました~。
    2020年02月01日 16:59
  • 風船かずら

    ぼんぼちぼちぼちさんのブログ長く読ませていただいてきましたので、どんな辛い子供時代だったか想像にあまりあります。過去があったからではないという言葉、真実に徹している強さ、尊敬です。虐待のニュースが多い今、虐待の問題が本当に理解され解決にむかうことを願うばかりです。
    2020年02月01日 17:37
  • ロートレー

    最近、自分の人生を振り返ることが多くなりました。
    両親からもらった才能を十分生かしきれたのだろうか
    能力の限界までチャレンジしただろうか
    そして何より、思い残すことがないくらい思い通りに生きてきたのか  と
    2020年02月01日 17:52
  • hirometai

    ぼんぼちぼちぼち様
    許せない虐待に耐えて強く生きてこられましたね。
    記事を読むたびにこんな親がいたのと驚くことばかりです。
    今は、虐待が大きく取り上げられるようになり、信じられない報道がされます。
    生きていらして良かった、
    これから自由に好きなことをしてゆったりと生きてください。
    ぼんぼちぼちぼちさんのブログ記事楽しみにしています。(^-^)
    2020年02月01日 19:15
  • そらへい

    世の中にこのような生活があり、このような親がいると言うことに
    私の体験や見分の狭さを痛感します。
    2020年02月01日 21:46
  • mau

    すごいとしか言えませんが、
    18で月30万も働けた貴女の才能もすごすぎます。
    2020年02月01日 22:30
  • てんてん

    ぼんぼちぼちぼちさん、すごい体験ですね
    僕には耐えられないかも
    僕の妻もジュリーのファンです^^
    2020年02月01日 23:18
  • Ja-Kou66

    どんな親でも、子はそれが「ふつう」として育ちますから
    おかしいな、ということに気付けたのはとても良かったと思います。
    ホント、ありえないですもん。。
    2020年02月02日 00:00
  • 猫の友 メルティー

    いいとおもいますよ。何度でも吐露して。仕返ししようにも相手はいないのですから。復讐するは我にあり!「かわいそうな女だった」と本当に思えるようになったら、記憶の底にしまっておいたらいかがですか。ジュリー演じた天草四郎だって恨みを抱えてエンド。ジュリー、文太さんや真一さん相手に堂々たる主役でしたね。
    2020年02月02日 00:15
  • 猫の友 メルティー

    今、幸せに生きているのは、貴方の心と行動の賜物であって、たまたまでも運だけでもないはずです。信じましょう ご自身を。
    2020年02月02日 00:24
  • ナツパパ

    niceを押していいものか迷いましたが、
    自立という努力にそしてこの記事に及ばずながら応援を。
    2020年02月02日 10:02
  • のら人

    現代に未だに蔓延るバカ親から幼児虐待を受け続けるその子供と、日々暴れるボケ老人と同居し手を焼くその子供らも、共通の悩みを抱えているんでしょうね。
    2020年02月02日 10:38
  • 拳客の奥様

    猫の友 メルティーさんと近い意見です。
    私事ですが、家族間の揉め事もありましたし…
    気持ちが、落ち着くので有れば吐き出した方が良いです
    スッキリしますしね。
    2020年02月02日 11:07
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    今まで何度も母親にされてきた様々な虐待を明かしてきやしたが、今回の記事でも、一人でも多くのかたに、虐待という事実があったこと、そして今現在も世の中のあちこちで虐待が行われている、ということを知っていただきたいと思ってやす。
    そして、虐待という事実を理解してくださるかたが増えて、結果、世の中から虐待がなくなる方向にむかってほしいと、、、
    そのためには、世の中の人、一人一人の認識が大事でやす。
    12日には、虐待という事実が理解しやすくなる解釈のしかたを述べようと考えてやす。

    ワンブロック前にいただいたコメントにお返事しきれなかった分があるので、ここでお答えさせていただきやすね。
    先ず、あっしが過去に描いた絵は、カテゴリー「絵」の欄にカエルの水墨画がありやす。
    高校生の時に勉強のために描いた習作でやす。
    それ以外の作品は、画商が全て買い取って行ったので、あっしの手元には1枚もありやせん。
    公開しているカエルの絵は「こういうモチーフは客受けしないから」という理由で残りやした。

    母親の生まれ育ちは、群馬の赤城山の中腹の寒村でやした。
    子供の頃は貧しくて、いつも飢えていて近所の畑のものを盗み食いしていたそうでやす。
    学生時代になると、不良やってたそうでやす。
    ビールで髪をキンキンに染めてたとか言ってやした。
    今でいう「ヤンキー」でやすね。
    高校を出て、前橋や東京に出てからも、だらしのない不良女をやってたようでやす。

    搾取した金は何に使ってたか、、、週にさん3、4度はデパートに行って服や靴をたくさん買ってはすぐに飽きて捨てたり、バーやスナックに行って飲んだりしてやしたね。
    「子供は18になったら親に左団扇させるのが当たり前の親孝行だろーが!」と言うのが常套句でやした。

    そう、子供の頃って、世間を俯瞰して見ることができないから、自分ちが当たり前だって思っちゃうんでやすよね。
    「何故、親戚の家に逃げて行こうと思わなかったの?」とか「高校出たらさっさと家出すれば良かったのに」って言う人がいやすが、本人は、多かれ少なかれどこの家庭も同じようなもんだろう、18で100万稼げない自分のほうがダメ人間なのかも知れない、って思っちゃうんでやすよ。

    で、記事本文にもあるように、ハッキリと気がついたのが25才の時でやす。
    あっしが母親に逆らったのは、生まれてからこの時が初めてでやす。
    それまでは、今思い返すとどんな理不尽な理由で虐待されても「ごめんなさいごめんなさい」と萎縮してやした。

    あっしが家を出てからは、あっしに向けていた矛先が弟に向かって、弟はあっしほど虐待されなくて可愛がられたことも何度もあったので、弟は母親が好きで、月々100万稼ぐという快挙をなしとげ、でも何ヶ月かそれを続けたら、心身共に潰れてしまい、そんな状態になった弟を、母親は、「使い物にならなくなった」と見殺しにしようとしやした。
    この辺りのことは、過去記事「母親は弟を見殺しにしようとしたことがある」に詳しく書いてやす。

    okkoさん、あっしは一生、母親が虐待しなければいられなかった気持ちなんて みじんも チリ一片分も、解ってあげようなんて思わないでやすよ。
    なんで、エゴイズムの塊でそれをぶつけられ続けた被害者が、加害者の気持ちを解ってやらなければならないんでやすか?
    虐待する親の子供に産まれ落ちてしまったということは、通り魔に合ったと同じ運の悪さでやす。
    okkoさんは、もし、「俺は人間が大嫌いなんだ!だから向こうから歩いてきた人間ならだれでもいいから刺してやろうと思った」という理由で、okkoさんが、人生の半分を台無しにしてしまうほどの心身の傷を負わされて、刺した相手が反省の色一つ見せずに「俺がやったことは正しい!歩いてきた奴のほうが悪いんだ!」と言い続けていたら、その加害者の「通り魔をやらずにおれなかった人生」を思いやって許す気になれやすか?
    2020年02月02日 11:33
  • プー太の父

    いつも母親さんの記事にはびっくりしてますが
    本当にメチャクチャな理屈ですね。
    2020年02月02日 16:18
  • ヨッシーパパ

    まるで小説の様な人生が現実にあったのですね。
    よく乗り越えて、頑張っていらっしゃる。
    素晴らしいです。
    2020年02月02日 18:47
  • こじろう

    事実は小説より奇なりと言うけど,実際そんなもんだよなぁ・・・と思う。
    自分は虐待とかはないけど,「おいおい,三文芝居の世界ですか?」っていうシチュエーションにはめられた事があるので,身につまされる気分だ。
    2020年02月02日 19:09
  • ヤマカゼ

    カエルの絵を拝見しました。カエルのディテールが鮮明でボヤーとした背景の比率が大きくて、若いころのご苦労を伺っていなければとても抽象的な背景が分かりませんね。
    2020年02月02日 20:24
  • sig

    何度読ませていただいても壮絶すぎる青春時代ですね。
    いちばん楽しくて華やかであるべき時代を、このような無残な体験で過ごさなければならなかったという事実。失われた時間は絶対に取り戻すことはできないという慚愧を抱えながらぼんぼちさんが自力で掴んだ今の時間は、本当にかけがえのないものだと思います。
    2020年02月02日 20:36
  • yoriko

    コメントする言葉が浮かびません・・
    私も親とは確執がありましたがこれほど酷いしうちは受けていないので
    唖然としました。まるで小説を読んでいるようでした。
    でも今は自由になって良かったです。
    2020年02月02日 21:01
  • せつこ

    娘たちはそれぞれ家庭を持って暮らしてますが、毎日健康に何事もなく暮らせるよう願っているのが親心です。
    私は自分を犠牲にしても子供を守りたい、その気持ちは今も変わりません。
    ぼんぼちぼちぼちさんは、そんな環境で育って立派になられて、強い人です。
    2020年02月02日 21:38
  • mayu

    私も、狂気の支配する家庭に生まれましたから、不幸な子供は世界中で私だけ、他の子供たちはみんな幸せな家庭がある、と思っていました。
    インターネットでつながる時代になって、他にも似た境遇の子供はいると知りました。
     今でも、「誰でも子供は持てるけれど、子供を持ってはいけない人はいる」と思っています。
    2020年02月02日 21:54
  • raomelon

    一番頼りたい大人からひどい目にあわされる
    こんな辛いことはないですね…
    心にどれだけの傷を負ってしまったか
    「今は一人で 自由気ままに生活」の言葉に
    少し安堵しました。
    2020年02月02日 23:02
  • harudo

    そう、「嫌なら家をでればいい」
    傍からはそう思うんでしょうが
    中々そうはいきませんよね。
    ぼんぼちぼちぼちさんが
    今は「幸せいっぱいストレスなしの生活」を
    送れていることが救いです。
    2020年02月02日 23:28
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    たくさんの温かいお言葉、ありがとうございやす。
    ブログをやっていて色んな方向性の記事を書いている中、この「毒母」カテゴリーの記事は、特に読んでいただきたく思っているので、長い文面にも関わらず、お読みくださりほんとうに感謝の気持ちでいっぱいでやす。

    「まるで小説のよう」「現実にそんなことがあったなんて?!」と驚かれるかたが多いの、解りやす。
    事実は小説より奇なり、、、まさにそうでやすね。
    あっしはここのところ、老健に入所している友人に面会するために、毎週、所内の痴呆老人の様子を見ているのでやすが、想像を絶して愕然とするとともに「これは、いくら優秀な脚本家が観念で書こうとしても絶対に書けないな」と思いやした。
    あっしらの多くは(あっしも含めて)自分が実際に体験したこと以外は、映画やドラマの世界を「あー、この世界ってこういうものなんだ」と認識しがちでやすが、どの方面に関しても、現実ってそんな生優しいものじゃないでやす。

    mayuさんも、壮絶な家庭にお育ちになったのでやすね。
    お互い辛かったでやすね。今はお幸せでやすか?
    幸せだったら、嬉しいでやす。

    そう、ネット上では、虐待されて育った者が集う場があり、「ああ、自分だけじゃなかったんだ、、、」と少し心が軽くなりやすね。
    似たりよったりのとんでもない体験をしてきた人って実はいっぱいいることが分かりやすね。
    家庭内のことって、他人様からは見えづらいでやすからね。
    特に昔は「家庭の恥は自分の恥」という考えかたがあって、隠そうとしやしたからね。

    あっしがある時期参加してた 虐待された人が集まる匿名掲示板で、みんながどんな虐待を受けたかなどを書き込んでいる中に、1人「どんな虐待受けたって親がいるだけで幸せじゃない。僕は両親の顔も知らずに施設で育った」と発言してきた人がいたんでやすが
    すかさず、我々の中の1人に「円満な家庭に育った子供がプラスなら、君はゼロ、で、自分らはマイナスなんだよ。マイナスよりゼロのほうがよっぽどマシだよ」と反論し、我々は、あっしも含めて「そうだそうだ!」となりやした。

    あんな母親でやしたから、あっしは箸の持ち方も教えて貰ったことがなく、母親が死んでから、つまり30才近くになって、和食屋に通い、箸の持ち方が出来るように一人で学びやした。
    また、はしか おたふく風邪 水疱瘡 って、子供の頃に誰もが必ずかかる病気でやすよね。
    あんな母親でやしたからあっしが病気になっても看病もせずに「この根性なしめが!根性がないからこんなことにかるんだ!」とののしるだけで、
    はしかとおたふく風邪は、いつかかったのか、また今だにかかっていないのか分かりやせん。
    水疱瘡だけはブツブツができるので分かったようでやすが。
    そういうことも、若かった頃は、医者に聞かれても「親の恥は自分の恥」的な気持ちで言えやせんでやしたが、今は聞かれたら、ハッキリと「母親が育児放棄していたので、かかったかかかっていないか分かりません」と言うつもりでやす。
    2020年02月03日 13:06
  • ようこくん

    どうしたらそういう思考回路になるのか、お母様の生い立ち、人間関係の中に性格を歪ませる大きなことがあったのでしょうか。
    虐待、監禁、モラハラ・・・
    周りからは「逃げればいいのに」という声が聞こえても
    洗脳されているとそうはいかなかったでしょう。
    お母様が突然他界されたら、うれしさと開放感でいっぱいだったでしょうね。
    ぼんぼちさんが、毒で同じような人格になることなく
    今はご自身の思う道を歩かれているのを嬉しく思います。
    2020年02月04日 12:52
  • beny

    ぼんぼちさんは、より精神的にタフであられることが伺えます。
    2020年02月04日 18:04
  • yokomi

    ほんと、大変なご苦労をなされましたね。小さな頃から母親による洗脳でなかなか抜け出せなかったのに、大きくなって逃れられたことはとても良かったです。更なる幸せを求めてください。環境はより温いのでしょうけれど、私は親を殺したいと思ったことが何度も有りました。いつかは指を切ったのに病院へも連れて行かず、痛い痛いと泣きわめいている私を見かねた高校生の兄が、新聞配達で貯めた小遣いを持って外科へ連れて行ってくれました。親の苦労も見てきたし、若年性痴呆症(^_^;)かも知れないので、今は辛い思い出があったという記憶だけ。
    2020年02月04日 21:01
  • ぼんぼちぼちぼち

    ようこくんさん

    母は、母の兄弟に言わせると、「末っ子で一人だけ特別にワガママに育った」そうでやす。
    姉さん達は、中学出ると、女工さんとして製糸工場に働きに出たのに、母だけは高校を出してもらったり。
    だから、精神年齢は幼児のまま大人になった人だったんでやす。
    幼児って、自分のことしか考えなくて世界を自分中心に回していて、気に食わないことがあると癇癪おこして手足をバタバタさせたり大人をぶったりして泣きわめいて、おかしな理屈つけて自分の思うままにしようたする。
    それと同じことをいい年になってもやっていたんでやす。
    責任があるとしたら、あまやかして育て過ぎて精神的に大人になる階段を歩ませなかった母親の実家の家族にあるのかも知れやせん。

    洗脳、、、そう、仰るとおりでやす。
    物心ついたときから、親が正しくておめーが悪いんだー!と殴られ続けられて育つと、やっぱり自分が悪いのかも知れないって刷り込まれちゃうんでやすよね。
    逃げよう、とかって発想ができるのは、今までまともな環境を知っていて、ポンと理不尽な環境に置かれた子供だけだと思いやすね。
    2020年02月05日 12:41
  • ぼんぼちぼちぼち

    benyさん

    うん、まあ、並の人よりかはタフなんでやしょうね。
    だけど、母親が生きてたときは、ストレスで、身体のあちこちにいろんな不調が出てやした。
    今思い返すと、自律神経失調症だったんだろうな、と思いやす。
    あと、これは過去記事やコメント欄で時々書いてることでやすが
    中高生の頃は父からたくさんお小遣いをもらえて、買いたいものを何でも買えたことが、心の大きな癒やしになってやしたね。
    それがなかったら、精神的に完全につぶれてたかも知れやせん。
    2020年02月05日 12:52
  • ぼんぼちぼちぼち

    yokomiさん

    yokomiさんも、親に酷い仕打ちを受けてこられたのでやすね。
    その時、優しいお兄様がいらしてくれて、病院に連れて行ってもらえて良かったでやすね。

    あっしにもそれと似たような体験ありやすよ。
    家で料理を作るのは当たり前のようにあっしの役割りだったんでやすが、
    小3くらいの時に、トマトを切っていて、左の親指の先っちよを切り落としてしまったんでやす。
    あっしは、痛さと恐怖で立ちくらみがしやした。
    それを見ていた母親は、ゲラゲラ大笑いし「おめーの指の入ったトマトなんて食いたくねーわ!気持ちわりー!おまけにふらふらしてやがる、この根性なしがっ!」と、やはり病院に連れて行ってくれないどころか心配の様子もみじんもありやせんでやした。
    あっしは自分で救急箱を出して包帯を巻きやしたが、傷口がちゃんとくっついてくれるかどうが、ずっと心配でやした。
    結果、くっついてくれやしたが。

    あっしも、今回の記事に綴った25歳の頃、母親を殺したいと思ってやしたよ。
    でも何故、殺さなかったか、それは、思いやりの気持ちや情けがあったからではありやせん。
    ただ一つ、自分の人生がその後、台無しになって馬鹿を見るから、そういう理由で自分のために殺さなかったのでやす。
    2020年02月05日 13:09
  • okko

    ご意見、拝読しました。ワタシの想像を絶する極限の環境で育たれた事情は、分かっているつもりですが、せめて自分だけはそうはなるまい、相手がどうしてそうだったのか、少しは理解してあげる気持ちの余裕を持った(現在までも尾をひかないで)と思います。だって、いま、こうやって立派にブログを立ち上げ、みなさんの人気者になっているご自分がいるじゃあありませんか。
    ま、こちらも四捨五入して90歳に仲間入り、平穏無事にここまで生きて来られたと思っておられるなら、それは大間違いであることだけは、記憶しておいてください。
    2020年02月05日 14:52
  • ぼんぼちぼちぼち

    okkoさん

    あっしが今、こうして平穏にブログを開設していられるのは、父のお金と私自身の努力と優しくしてくださった他人様のおかげでやす。
    あっしは加害者の気持ちを思いやれるほど心の広い人間ではありやせん。
    okkoさん基準の心の広い人間になるつもりは毛頭ありやせん。
    「ぼんぼちはなんて心の狭い人間なんだ」と思われて結構でやす。
    2月12日に、「虐待をより解っていただく為に」という記事を公開しやす。
    公開になったらご参考までにお読みくださいでやす。
    2020年02月05日 16:53
  • sadafusa

    こんばんはー。

    私の親もとんでもない親なのは以前話しました。

    ですが、運の悪いことにウチの母親はまだ生きているんですよね。

    やはり周りの事なかれ主義の人間というか、
    我々のような事態にあってこなかった連中は
    今こそ和解のときだ。
    過去は水に流してお母さんに会いに行ってくださいと
    したり顔でいうんですよね。

    いや、絶対に会いに行かないし、和解なんかしないし。

    お母さんにはお母さんなりの辛さがあったんですよーって
    言われても、そんなん人間なら誰だって何かしら辛いもの抱えているでしょうよ。

    私も許したくないですね。
    親になってみて、やはり母親のやってきたことは
    常軌を逸していたと強く確信しました。

    やられたものでなければわからない、
    精神的な苦しみです。
    しかもそれは、屈辱感に打ちのめされた
    恥の記憶なのです。
    2020年02月07日 22:58