新宿・思い出横丁デビューの年令
新宿西口ガード脇に在る 闇市発祥の庶民的な飲み屋街「思い出横丁」ーーー、東京あるいはその近郊にお住まいの酒好きのかたなら 一度は訪れたことがあると思う。
その思い出横丁、みなさんは、初めて訪れたのは何才の時だっただろうか?
上京して学生になって早々の18才? 社会人になって大人の仲間入りをした22才? それとも一通りの飲み屋を経験してからの30代?
ーーー思い出横丁デビュー、私の年令より早いかたは、まず おられないのではないだろうか?
何故なら、私の思い出横丁デビューは、0才マイナス10ヶ月だからである。
つまり、母親の胎内に宿ったその時点からすでに、母親の腹に運ばれて通っていたのである。
思い出横丁、当時は「ションベン横丁」と呼ばれていたそうである。
小便の匂いのする様な 薄汚い下品な飲み屋街だったからだそうだ。
中野の鍋屋横丁に住んでいた母は、都電に乗って 夜な夜なションベン横丁に飲みに通っていたそうだ。
私を妊娠していることが判ってからも 腹が大きくなって臨月になってまでも 通い続けていたそうだ。
私を産んだ期間だけ休み、再び動けるようになるや、又 ションベン横丁通いを復活させたとのことである。
私が産まれて間もなくは、まだ寝転がっているだけで 這って移動しないので、バーのカウンターの椅子の上に乗せて 隣の椅子で飲んでいたそうだが、しばらくして 這って移動するようになると、カウンターの椅子には置いておけないので、中野のアパートに閉じ込めて 飲みに通ったそうだ。
中野のアパートは三畳一間で私は6月産まれだったので、毎夜 閉じ込められるようになった時期に真夏の盛りが来て、私の身体は運動不足でぶくぶくに太り 肌はあせもでぼろぼろになったという。
母はよく その頃のことを「元々産みたくもねーのに産まれてきやがってよー! 醜くて臭くて見るのも触るのも嫌だったわあー!」と いかにも汚いものを思い出すように吐き捨てていた。
ションベン横丁から思い出横丁へと健全なイメージに改名され、多くの店が入れ替わったに違いない今も、私は、この横丁を訪れる度に、母がしばしば吐いていた言葉を思い出し、自分のルーツはここにあるのだと 濁って底の見えぬ水面動かぬ沼の如き思いに縛られる。
この記事へのコメント
ヤマカゼ
残念ながら新宿はカメラ機材を買いに行くだけで飲みに行ったことはないです。
サンフランシスコ人
はっきりとは覚えていないけれど、中学生の頃だったと思います....
「中野のアパートに閉じ込めて 飲みに通ったそうだ....」
カリフォルニア州だと、親権を失って子供は政府の所有物扱い?
風太郎
ションベンしたくなると線路沿いの壁に行き、それに向かってかけますので、壁には沢山のシミ模様があり、そのシミ模様を消すように勢いよくかけると、とても気持ちが良くスカッとしたものです。
匂いに鈍感な僕には「ショウベン臭い」のは気になりませんでした。
ニッキー
大学は関東じゃなかったし、社会人になってからは
職場から新宿ってちょっと遠かったので行かなかったんですよねぇ(⌒-⌒; )
今思うと、一度行っておけば良かったかなってw
g_g
学校を出てよく友人と通いました。
今現在はどうなっているのかな~
なかちゃん
行ったこともないのに懐かしいような気がするのは何故でしょう?
今なら喜んで行きたいと言うのでしょうが、若い頃は無理だったかも…
きよたん
しかし、学生の頃は入るのには勇気がいりますね
通りは知っていましたが通路を通るのも恐い感じでした。
そんな酒場のカウンターに赤ちゃんを連れて行くなんて
信じられません。それを娘に話すのも??です。
行くたびに思い出しますよね その話を。
あおたけ
入社したての若い頃はよく飲みに行きましたが、
最近はもっぱら昼食で行くことが多く、
蕎麦のかめやか中華の岐阜屋に立ち寄ります(^^)
侘び助
長男が生まれた年S33年6月・暑い捺になりやした
扇風機が買えなくて(新婚・超貧乏)通りの影でだっこし
団扇で扇いでいました。その子も還暦を過ぎたでやすぅ~
色々援助をしてくれる・・・親孝行息子に(^-*)
sig
Take-Zee
横丁、今はあまり聞かなくなったですね。
でも、横丁には少し汚いイメージと同時に
庶民的で懐かしい響きがあります。
隊長
せつこ
想像つかない教育環境で、よくぞ真っ直ぐ大人になられてビックリです。
リンさん
それにしても赤ちゃんをアパートに置いて飲みに行くなんて、育児放棄ですよ。
ひどいですね。
拳客の奥様
今もあるのかなぁ?入口の中華屋~油がベッタリついた換気扇…
二年ほど前に行きましたが、外国人ばかりですね。
良心的な店も?チョット昔と違った感じでした(≧∇≦)
ackylacky
大阪の歓楽街もあまり行きたい場所ではありませんね。
お酒をの飲む人には違って見えるのかな?
アニマルボイス
クッキー
地上・地下とウロウロした記憶しかないです
通勤では京王線で通過だけでした。
リス太郎
私の思い出横丁デビューは、え~と、い~ちに~い~三枝~…
2019-2004=15 52-15=37
37才のときです。ただしラーメン屋です。便所ありました。
入口右のサ店で一服と思ったらどえりゃあ金額請求されて往生こいたわ。
okko
hirometai
私が、初めて行った時は、、18歳、上京して研究室の仲間に連れられてゆきました。
何と汚くて我慢のならない臭いに耐えられませんでした。
そのイメージから抜けられなくて行きませんが、今は、違うようですね。
アニマルボイス
当時の私にとっては新宿は競馬とパチンコの街。
場外で馬券を買い、「競馬中継」と看板のあるサ店に入るとリス太郎さんじゃないですが、500-600円が相場でした(ふつうの喫茶店の倍)。なのに、ちっちゃなテレビが置いてあるだけです。
美美
思い出横丁と名を変えていたとは知りませんでした(^^;
GG233334
BOROは西口会館のアクセサリーショップで働いていた、と聞いた記憶があります。真偽のほどは定かではありませんが……いずれにしても遠い遠い昔の事ですね。(汗)
johncomeback
今月末に上京するので行ってみようかなぁ(-_-)ウーム
kame
全てのデビューはこの年齢だった事が多いです。
大人の遊びもこの頃には当たり前の様に。
歌舞伎町が『怖い所』と言われていた頃にはその筋の方と仲が良かったり(笑)して、怖いと言うイメージはありませんでした。
『ションベン横丁』は何でも安くソコソコおいしく。
その場にいる人とすぐ仲良くなれる雰囲気がありましたね。
300円もあれば腹が一杯になっていた頃の事を懐かしく思います。
kazu-kun2626
思い出横丁に通っていたとは
猛者ですね~(笑)
kiki
エンジェル
ファルコ84
都会があまり好きではなかったので
興味はあるものの、初デビューは相当遅かったように思います。
貴殿のお生まれや…人生人それぞれですが
波乱に富み聞くも涙です。
それも遠い思い出、今の自分の何かに…なっていることでしょう。
写真の被写体には、いつも興味津々です。
英ちゃん
私は何時デビューしたかは覚えてません?
藤並 香衣
その折に近くは通りかかりましたが
入ろうと思わなくて素通りしてしまいました
さる1号
社会人になってからこっちに出て来たからね
子供をアパートに閉じ込めて飲みにって、国によっては逮捕レベル@@;)
Rchoose19
然も最後の日でしたよ。
たぶんオフ会の帰りに連れてってもらったところがそうだと思います。
観光地化しているように感じましたし、
お店の人は外人さんでした^^;
這い上がるママ
Boss365
「ションベン横丁」懐かしいです。
上司に連れて行かれ、その後は後輩を連れて行った思い出があります。再開発の遅れた場所?バブル時も色々事件あったと記憶しています。色々な思い出、場所が存在し残っている事は、ある意味良い事です!?(=^・ェ・^=)
yokomi
以前務めていた職場に、産休明けの美人若妻が居ました。接客の、1つの窓口にもなっているカウンターですが、その内側一段低い所に彼女の机が在り、その上に敷いているデスクマットの下に入っている写真を指さし、「ねえねえ係長、私の赤ちゃん可愛いでしょう?」と自慢の押しつけ(>_<) 私にすれば、ちょっとは母親似だけど、多分旦那に似てそれほど....。君の方がもっと可愛いよ...とまでは言いませんでしたが。同級生の娘なので(^_^;)
我が赤ちゃんとはいえ、ウンコの世話は嫌だったのでしょうけれど、10か月もお腹で育み、痛い思いをして産んだ我が子を、お母さんは本当は可愛いと心の底で思っていたのでしょう(^_^)v
ぼんぼちぼちぼち
思い出横丁デビュー、18~9才と、意外と早いかたが多いでやすね。
まだ、世の中には怖い飲み屋もあるという免疫つく前だから躊躇せずに入れたのかな?
それとも元々勇気あったのかな?
若い頃は怖くて素通りしてた、というかたもおられやすね。
社会人になってから、というかたがたも少なくないでやすね。
近くに職場があったりすると同僚と入りやすいでやすもんね。
とにかく安くて独特の趣きがある、というのが魅力でやすね。
その趣きを好きになれるかどうかでやすが。
あっしはこういう趣きは好きで、昨日もちょっと新宿に出たので、
思い出横丁、ぐるりと一周してきやした。
仰るとおり、外国人観光客が多いでやすね。特に西洋人受けするようでやすね。
あっしは大阪でも、新世界とか鶴橋とか、ディープなところが好きでやす。
そう、あの角っこにあるコーヒー屋さんは高いでやすよ。
喫茶店マニアであるぼんぼち、好きになれない店でやす。
あの近くで飲みまでの時間調整をするなら、西口大アーケードのところにある「ピース」っていう喫茶店が、昭和ちっくで庶民的でオススメでやすよん。
それにしても、kameさん、以前もコメント読ませていただきやしたが、さすがでやすなあ。筋金入りでやすなあ。14才とは!
14才といったら中2でやすもんね。
同級生達と話が合わなかったのではないかとお察ししやす。
あっしは産まれた病院も新宿だったので、まさに「新宿で生まれた女」でやすね。
そう、母親、親権失って施設で育てられたほうがどれほど幸せだったろう、と思いやすね。
日本で虐待云々が着目され始めたのって、ごく最近のことで、当時は警察すらも「女性には母性本能というものが備わっているから他人の子供であっても殺さない」と、よく調査もしなかった時代でやす。
当時から虐待死してた子供っていっぱいいた筈でやす。
あっしも何度、殺されそうになったことか、、、
アパートに閉じ込められていたときも、よく熱中症や脱水症状で死ななかったものだと思いやすよ。
yokomiさん 母親の言葉の真意、言葉通りでやすよ。
しょっちゅう「産みたくもないのに勝手に産まれてきやがってー!」と吐き捨てながら憂さ晴らしにあっしをボコボコに殴ってやした。
じゃあ、何故産んだかというと、堕ろす金がなかったからだそうでやす。
ほんとはあっしのことを可愛く思っていた、、、そんな可能性はゼロでやす。
母親のモットーは、「アタシが産んだんだから売ろうが殺そうが自由だ」でやした。
事実、あっしをソープに売る交渉しに行ったことがあるし 弟を見殺しにしようとしたこともありやす。
yokomiさんのようなお考えは、間接的に世の中の虐待を助長することになるので、改めてください。
あっしがこうして、しばしば母親の愚行を記事にしているのは、世の中から一人でも虐待される子供が減って欲しいという願いも大きくありやす。
母親はどういう理由で子供を虐待するのか、を知っていただきたいのでやす。
今は母親の愚行にまつわる記事は、「独り言」のカテゴリーの中に入れてありやすが、近いうちに、今回の記事も含めて「毒母」というカテゴリーを作ってそこに集めて移そうと考えてやす。
現在、ソネットブロガー読者以外のかたがたにも、過去記事の母親による虐待の記事、毎日 幾人ものかたに読んでいただいてやす。
それらのかたがたも、他の 母親による虐待の記事に辿り着きやすいようにしたいと考えてやす。
coco030705
色々大変なことがあったのですね。まだ赤ちゃん(子供)だから抵抗もできませんもの、とてもつらかっただろうと思います。
今日、婦人公論を立ち読みしていたら、家族、親戚、兄弟と折り合わないのは、仕方がないので、そういう人たちとの関係はやめて、あきらめようという特集をやっていました。有名や作家や芸能人のインタビューが載ったり、文章が書かれていました。
ぼんぼちぼちぼちさんほど過酷なのは、書かれていなかったかも。私も嫌な親戚がいたので、よくわかります。
家族は仲良くというのは、幸運にもそうなのであって、それをこちらに押し付けられることはない、と思っています。
もーもー
大忙しです!
あれもこれも、天日干し
太陽の匂い気持ち良いです
starwars2015
臭いし、ゴキブリが居ました。
こういうところがあるんだって、衝撃を受けた覚えがあります。
ゆうのすけ
ちょっと数日早いですが お誕生日おめでとうございます!✿~
新宿ってなかなか行く機会がないんですが幾度か行くことがあって
私は華やいだ?!新宿って デパートとか繁華街的なところでは無くてやや陰りを感じるようなところ(人間臭さを感じる!)へ行くことが多かったですね。もうあまり覚えてないけれど ゴールデン街の方とか。仕事であったり人と合ったり。そうそう!梅雨のようなカラッとしたイメージではない日翳りを感じるようなところ。(^^;)でもそんなところが好きです。もともと私も派手な性格ではないからかな?!(高いビル街の界隈でなくて 花園神社とか少し離れて見上げるような。あ!思い出した。これはそっちではないんですが まだ都庁が建つ前に西口の浄水場跡にビルが建ち始める前 更地(建設予定地)が沢山あった頃に新宿は初めて行ったのかな。でもどこだかはハッキリしません。けれど着飾って行ったわけではないので。☆~☽)
旅爺さん
ヨッシーパパ
その後は、新宿に行くときは西口や南口での用事が多く、結局行かず仕舞いです。
kohtyan
再開発の計画があるようですが、権利関係が複雑で
進まないようですね。
思い出横丁として残ってくれたほうがいいですね。
ぼんぼちぼちぼち
思い出横丁、火事になった時にも、全部取り壊されて再開発か?と危ぶまれやしたが、その後も継続、そしてこれからも存続し続けるようで嬉しいでやす。権利問題複雑で良かった・笑
昔は、闇市発祥の横丁ってそこここにあったのでやしょうけど、再開発で次々となくなっていってしまいやしたね。
吉祥寺のハモニカ横丁などは、一時はシャッター横丁化しつつあったところに、新しくオシャレな店を入れたことで、それまでとは違う雰囲気で復活しやしたね。
新宿は、古い趣きの残る一角が何ヶ所かありやすね。
コメントにも書いていただいたゴールデン街や、あとは要通り、2丁目を越えて四ツ谷近くに行った辺り、残念ながら十二社のほうは再開発されてしまいやしたが、以前は庶民的な商店街や喫茶店がありやしたね。
ゆうのすけさん 誕生日祝いのお言葉、ありがとうございやす。
次回15日の記事は、誕生日記念セルフポートレートを公開しやす。
coco030735さん そう、仰る通り、合わない家族や親戚と無理して付き合い続けることはないでやすよね。
親も兄弟も親戚も、選んで好き好んでそういう関係になったわけではないのだし。
まだまだ古い考えにとらわれている人も少なくない中、婦人公論、いい特集をしてくれたと思いやす。
その特集に背中を押されて、徐々に多くの人の考えが変わってくれると良いと思いやす。
ゆるキャラ
そうそう横丁の建物、バラック建築には波板が定番です!
この場所は昔からよく通り抜けでいましたが
お店の中には縁がありません(^^;
昭和な私は刑事ドラマで犯人が逃げ込んだり
店の常連に訊き込みとかのシーンに登場していた
イメージが強くて、しかし今後ここを通る時
ぼんぼちぼちぼちさんのエピソードも思い出すのかなと。
しかしこの様な開発から取り残された場所ってイイですよね。
酒飲みではないのですがこの様な場所は大好きです。
フヂ
つるかめ食堂に行ったことがあります。
未成年だったのでお酒は飲まなかった記憶が…。
今は昔に比べると、キレイになったとか?
ぼんぼちぼちぼち
波板の写真は、もうかなり前に撮ったもので、何処で撮ったかすらも憶えてないのでやすが、仰るとおり 横丁の建物には必須でやすよね。
なので、イメージピッタリだったので、迷わずこの写真を付けやした。
古い喫茶店が好きな人は、古い横丁やアーケードもお好きでやすよね。
古い横丁、いつまでも遺り続けてほしいものでやすね。
ぼんぼちぼちぼち
ああ、つるかめ食堂、あっしは40才くらいのときにハマってよく行ってやした。
だからもう改装された後になると思いやす。
ソイ丼が名物なんでやすよね。
他のお客さんがビールをグラスに一杯おごってくれたり、お店のかたが巨峰を一粒くださったりと、あっしにとって、温かな記憶でいっぱいの店でやす。
そらへい
憧れ見たいのはあったのですが。
ぼんぼちぼちぼち
若い頃に一人では、ちょっと勇気のいる場所でやすよね。
その頃はきっと、ジャズ喫茶通いのほうに夢中でおられたのでやしょうね。