子供の頃の日曜日

私が小学三年から六年までの間、私の父が家に帰るのは 日曜日だけだった。
他の曜日は何処に帰っていたかというと、複数人囲っている愛人さん宅だった。

日曜日----
起きるや、母は父をののしっていた。 「昔は痩せててカッコ良かったのに 太って醜くなった」とか 「ヨーロッパ旅行に連れて行くと言っておきながら連れて行ってくれないじゃないか」とか 「座る時、手の甲を腿にあてる癖がみっともない」とか・・・・・。
弟は、そんな母に便乗して一緒になってののしっていたが、私は父をののしるなんて失礼な発言は出来なかったので黙っていた。

日曜日1.jpg父は、母と弟と私を 昼は外食に連れて行くのが 母の命令で決まりとなっていたので、車で ステーキレストランやホテルの中華料理店に出向いた。
母が、一般の客と同じ席は嫌だと言うので、個室で食べていた。
そこでも、母は父をののしり、弟は便乗し、私は黙っていた。

帰り際には決まって、紀ノ国屋でカートいっぱいに食材を求めた。

夜になると、父は、すきやきを作ってくれた。
弟と私が箸を伸ばしている間、母は「そんなもん まずーーーーい!!」と言いながら、ダイニングキッチンの離れた所で、蕎麦を茹でてすすっていた。
日曜日.jpg面倒くさいからと薬味も刻まず、生醤油をちょっと水で薄めただけのつゆにつけて、鬼の様な形相で、やはり父の悪口を吐きながら もぐもぐと口を動かしていた。

するうち、怒りがふっとうして、「ギャーーーーーーッ!!!」と叫ぶや、薬缶を持ち出し 廊下に出て、隣家にも響き渡るほどの大声で父をののしりわめき、薬缶を廊下に叩きつけては拾い また叩きつけては・・・・・・が始まるのだった。
毎回、二時間くらいはそれが続いた。
父も弟も私も、何も言わずにその様子を眺めていた。

私はそんな日曜日が大好きだった。
何故なら、日曜以外は、私は母に、「産みたくもないのに勝手に生まれてきやがってーーーー!!!」と、意識がなくなるほどボコボコに殴られるのだが、日曜日は、母の怒りの矛先が殆ど父に向くので、私が殴られることはあまりなかったからだ。

私は、目を血走らせ奇声をあげ薬缶にあたる母を見ながら、「毎日がこんな日曜日だったらいいのにな」と 思っていた。

この記事へのコメント

  • ヤマカゼ

    複雑な日曜日でしたね。
    2018年04月16日 06:22
  • 猫またぎ

    子供は親を選べないからねぇ
    2018年04月16日 06:52
  • ackylacky

    それでも週に一回帰って来られたのは、子供が成人するまでの義務を果たそうとされていたのだと思います。
    自分も子供が社会人になったので、家庭に縛られる必要が無くなったように感じてます。
    2018年04月16日 10:29
  • ニケ

    『nice!』を押して良いのか悪いのか…
    …命があって本当に良かったです。
    2018年04月16日 10:56
  • 侘び助

    お母さんもですが、お父さんも可哀そうな人でしたね。
    でも週一でも帰られるお父さん・罵声を耐えられて;;
    子供さんの為だったのでしょうね<(_ _)>
    2018年04月16日 12:07
  • kohtyan

    小説のようなお話ですが、実話なのですね。
    続きを知りたくなります。
    2018年04月16日 12:18
  • 風太郎

    叔父さんも似たような生活をしていて、小さいころ、愛人が叔母さんだと間違えていました。
    2018年04月16日 14:01
  • Take-Zee

    こんにちは!
    コメントの言葉が見つかりません・・
    でも何かをお伝えしたい・・複雑です。
    2018年04月16日 14:15
  • よいこ

    それでも週一で帰ってきてくれたお父さんはえらいですね。
    ぼんぼちさんのお母さんは、さぞ おきれいな方だったんだろうなと想像します。でも、大人に殴られるのは痛いですよね。私も痛みがわかります。だから、ボクシングなんて見るのも嫌いです。
    2018年04月16日 15:49
  • ponnta1351

    なんだかやり切れませんね。そんな日曜日が良かったなんて・・・。
    はっきり言って何が原因か解りませんがご両親は異常ですね。
    ナイス押して良いかどうか?一応押しますね。
    2018年04月16日 16:18
  • 斗夢

    子供は親の背中を見て育つと云いますが、反面教師にもなるんでしょうね。
    2018年04月16日 16:20
  • 旅爺さん

    その家々にはいろんなドラマがありますよね。
    2018年04月16日 16:31
  • たじまーる

    お母様のことで
    いろいろと大変な思いをされていたことは
    ぼんぼちぼちぼちさんなブログを通じて
    知ってましたが
    今回の記事も凄い経験されていて
    こんなことがあるんだと
    ショックを受けてしまいました。
    自分は二人子供いますが
    子供第一で接していきたいものですね。
    2018年04月16日 19:30
  • 裕々

    すごい体験をされてきたことに圧倒されます。
    それに比べれば、自分ではいろんな苦労をし、経験を積んできたつもりでも、いかにこれまで恵まれた人生を送ってきたか、と思います。
    2018年04月16日 20:48
  • 横 濱男

    なんて言っていいのか分かりません。
    苦しかったでしょうね。。
    2018年04月16日 21:01
  • きよたん

    何も言えません 一人一人皆可哀想で。
    2018年04月16日 21:07
  • KOME

    色々な以前のお話を聞きましたが、ほんとすごい。
    勢いがついて、引き返せなくなっちゃったんでしょうか。
    2018年04月16日 21:34
  • 藤並 香衣

    週に一度でも怒りの矛先が向かない日があってよかった
    2018年04月16日 22:32
  • エンジェル

    niceは単に訪問した事をお知らせするために押しました。
    ぼんぼちぼちさん、壮絶な少年期を過ごされたのですね・・・お母様の怒りの凄さが伝わって来ました。愛人の存在を自分ではどうにも出来ないもどかしさをぼんぼちぼちさんにぶつけてしまっていたのね。お母様のお気持ちはお察ししますが、ぼんぼちぼちさんにはお気の毒としか言いようがありません(ノ_・。)
    2018年04月16日 23:04
  • リンさん

    これはまた壮絶な…。
    勝手に生まれてきやがってとは、ひどい言い様ですね。
    読んでいて胸が痛くなりました。
    お父様は、ぼんぼちさんのために帰ってきたのかもしれませんね。
    たとえ週に一度でも。
    2018年04月16日 23:19
  • sana

    そんな日曜日が救いだったとは‥
    お父さんが週に一度でも帰ってこられて、まだよかったです。
    それにしても‥
    壮絶な経験をなさいましたね。
    複数の愛人がいる夫というのは、女性にとっては気が狂わんばかりに辛く感じても当たり前ですよ。
    でもそんなに罵っても何のプラスにもならなかったのに‥
    大人同士のいきさつはともかく、どんな理由があっても、子供を虐待はいけません。
    よく生き延びられましたね。
    2018年04月16日 23:33
  • nikki

    平穏な日曜日が毎日あれば。

    記事のふわふわ、ビニールでできていて、空気でふくらましてあり、なかで子どもが遊べるようになってます。
    ふわふわの名古屋城の中はどうなっているのかはわかりません。
    2018年04月17日 00:17
  • ゆうのすけ

    壮絶ではなかったけれど 私も十代後半で片親が別の家庭を持つ
    ことになってしまってから(否 その前からか・・・。)自分の気持ちをオブラートに包んで(弟もいましたし 親にも負担はかけられないし自身の事は一番後回しで)事なきが幸せなのかと 我慢すること平穏を望むように生きて来てしまいました。その後の片親のことは全く知らないけれど (普通?に)幸せそうな家庭像に憧れも持てないし そうであった子供の頃も忘れて行くし。もうその頃の両親の年もすっかり越して 後戻りできない年になっちゃいました。
    若い頃は(百恵さんが演じられていた一連の)ドラマの主人公みたいな生き方をしているのかと 第三者的に自身の気持ちを見つめていましたね。それが乗り切る糧みたいだったけれど。親の面倒を見なくてはならない年になって 自分の幸せってなんなんだろうと。でも後悔は出来ないし。障害無事に生きる保証はないし。生涯走り続けて最後のひと旗をあげるのに焦るばかりです。いつかは過去に苦い思いを与えてくれた人たちを見返すことを到底諦められない(諦めたらそこが終わりかも。それに支えてくれた人の為にも!)から そんな天の邪鬼な自分が扱いづらくて・・・。それも大人になりきれない要因なんでしょうね。あはは。^^;
    2018年04月17日 00:19
  • ☆ミルキーウェイ☆

    ぼんぼちさんは、複雑な幼少期を過ごされてたんですね^^;
    たぶん、お母様が許せなかったのはお父様だったんでしょうが、その矛先がお父様がいない時にはぼんぼちさんに全て向けられて辛かったですね。
    でも、「産みたくもないのに勝手に生まれてきやがってーーーー!!!」は母親として絶対子供に向けるべきではないと怒りを覚えます。
    2018年04月17日 02:13
  • Rchoose19

    弟さんがいらっしゃるのですね。
    うちは父が酒乱で毎晩暴れていたので、
    母と弟を守るために戦っていました。
    年中パトカーが来る家でしたぁ^^;
    幼い頃のもろもろはその後の人格形成にも随分影響が出そうですが、
    自覚は無いです^^;
    2018年04月17日 08:38
  • もーもー

    言葉では 言い表せないくらい
    辛い思い出しかありませんね
    一生忘れない思いが
    走馬灯の様にぐるぐるしますね
    それでも  強く 人の痛みを知っているからこそ
    ぼんぼんちさんに出来ることをして下さいね
    2018年04月17日 09:34
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    さっそくたくさんのコメントをありがとうございやす。
    みなさんの中にも複雑な環境で育たれたかたが何人も・・・・
    でも子供の頃って、よその家庭を知らないから 多かれ少なかれ自分のとこと同じようなものだろう と思ってたりするもんでやすよね。
    だからあっしは、平凡で円満な家庭に憧れたことはないでやす。
    世の中にそういう家庭があることを知らないから。知らないものは憧れようがないので。

    その後・・・・・あっしが中学高校になると、愛人さんの数が増えて、父は一か月か二か月に一度しか家に帰らなくなりやした。
    たまに帰る日曜日は相変わらずでやしたが、月に一度くらいの土曜の午後、父はあっしだけを食事に連れて行ってくれやした。
    あっしは新宿の近くの中高に通っていて、父の会社の本社が新宿にあったので、新宿で待ち合わせて、地中海料理店やフラメンコのショーを観ながら飲食できる店で食事をしやした。
    で、必ずたくさんおこずかいをくれやした。
    だから、あっしは、欲しい物はなんでも買えて、そのことがずいぶん精神的救いになってやした。

    そして、あっしが18歳になったとき、父はあっしに対する責任が終わったので離婚して愛人さんの一人を本妻にして家を出、母の怒りの矛先は毎日100% あっしに向くようになってしまいやした。
    母の発狂もますます常軌を逸してきて、狂言でパトカーや救急車を呼んだりして他人を巻き込んで騒いでやした。

    そんな母は、あっしが27歳の時、突然の病で(くも膜下出血)あっけなく死にやした。
    それ以降は、あっしは自分の好きなことをやってやってやりまくって人生を謳歌してきやした。
    母が、寝たきりや半身不随で生き残らなくて心底良かったと思いやす。
    死んでくれた時、「神様っているんだなぁ!」と思いやした。
    2018年04月17日 11:23
  • pomme

    最後のコメントを読んで、安心しました。
    上手く言えませんが、これからはずっと
    幸せが続きますよ。
    2018年04月17日 11:31
  • Ginger

    ・・・言葉がありません。今のぼんぼちさんの心が自由でいらっしゃることは奇跡のようですが、本当に良かった。。。
    2018年04月17日 11:46
  • MINERVA

    なかなか重い内容だと思いますが、当事者はその状況が普通に思えてしまうんですよね。
    以前もコメントさせて頂きましたが、私も一般的に言われている家庭とは程遠い状況下に置かれておりましたので、多少なりとも分かる気がします。
    まあ、子供の半分は憎き相手の遺伝子ですからね.... レベルが違うと思いますが、自分の優位性を保つ為にあの手この手だったと思います。
    今が幸せに思える、これが一番だと私も感じます。
    2018年04月17日 14:10
  • green_blue_sky

    親から言われると切ない話でやりきれない・・・

    お天気が悪いけど、今は亀戸の藤がきれいです。
    今日は久々に神保町に行き、矢口書店に寄りましたが、10分では好きなものが見つからない(^_^;)
    2018年04月17日 15:36
  • 薔薇少女

    >母が、寝たきりや半身不随で生き残らなくて心底良かったと思いやす。
    死んでくれた時、「神様っているんだなぁ!」と思いやした。

    せつなくて深いお言葉ですね、ぼんぼちさんは正直で素直な方ですね!
    こういう言葉をはっきりと公言されるぼんぼちさんを尊敬します!

    『子供なんか産まなきゃ良かった!』
    と、母は内職しながら、弟と私に向かってよく言われたものです!
    働いても働いても貧乏だった生活に対する
    愚痴のはけ口だったのでしょう・・・
    父にも母にも手を挙げられた事は一度も無いのが救いでした!
    2018年04月17日 17:09
  • リス太郎

    これ読んで思い出すのは私が幼い頃の話です。亡父が母の髪の毛をつかみ、ずるずると玄関まで連れていき追い出そうとする。幼い私と弟は亡父の足にしがみつき、「やめてやめて」と泣きながら止めた。母は「もうこんな生活いやよ」と泣きながら言う。だから私は今でも亡父を憎んでいます。
    2018年04月17日 18:29
  • rappi

    うちの母親は普通すぎるぐらい普通ですが、
    それも幸せなことだったのだなと思います。
    2018年04月17日 20:55
  • そらへい

    台風が来ると父は仕事を休んで家にいました。
    雨戸を閉め切った家の中に家族揃って
    ひっそりと台風が通り過ぎるのを待ちました。
    そんな瞬間が好きでしたが
    同じ父がいる風景でも
    ずいぶん違いますね。
    2018年04月17日 21:34
  • dan

    現実にこのような家庭もあるのだと、胸が痛いです。
    よく頑張られました。
    私は人の一生、帳尻が合うようにできていると思っています。
    これからの、ぼんぼちさんに平穏な日々が続きますように。
    2018年04月17日 22:38
  • sadafusa

    ふ、お母さまはどう考えても「自己愛性人格障害」ですね。こういう人格がねじ曲がった人って絶対に自分のやったことに責任をとらないし、責任転嫁するし、人に依存しますよね。自分のやった結果がぼんぼちさんという存在でしょう。それともおかあさんは処女で懐胎したのでしょうか? それとも暴行された結果とでもいうのですか?いずれにしろぼんぼちさんには責任はありません。それにしても弟さんまでいたのですね。もうひとり子供を作っていて何をかいわんやですね。
    こんなふうに荒れ狂っても、お父さんはよく我慢しておられたと思いますよ。

    うちの母親は「境界性人格障害」だと思います。他人の領域にどこまで自分がかかわっていいのか、その境目がわからないので、どんどんどんどん人のことに頭突っ込んでしまうのです。わたしは自分の人生はよりよく生きたいので、かなり前から会ってないです。自分の親が自分にとって毒親かどうかを判断する決め手というのは、「死に目に会いたいかどうか」なのだそうですね。わたしは二度と会えなくても全く構いません。
    2018年04月18日 09:53
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    尋常ではなかった家庭のかた、幾人もおられやすね。
    世の中に、平凡で円満な家庭って、比率としてそんなに高くないのかも知れやせんね。
    だから、平凡なことはとても幸せなことだと思いやす。

    そう、母は、自分のやったことへの責任はとらない 責任転嫁する 人に依存する 全部見事に当てはまってやすね。
    そもそも、母はもともとたくさんいる父のガールフレンドの一人だったのでやすが
    思わぬ妊娠を機にあっしを一人で勝手に産んで、父に「これ、アンタの子だから責任とってよ」と言う形で結婚したんでやすから。

    あっしも母親が死んでずいぶん経ちやすが 今も母親のこと憎んでやすよ。
    でも人生の帳尻って合うようにできてるんだなぁと思いやすね。
    子供の頃虐待されて、その親の介護をするハメになったりしたら「自分はいったい何のために産まれてきたんだろう? 自分の人生って何?」ってことになりやすからね。
    老いた父の面倒は愛人さんがみてるし、あっしは介護をする人は誰もいやせん。
    自由を謳歌する毎日でやす。
    2018年04月18日 10:45
  • don

    みんな、やりきれない思いを抱いて生きてるんですよね。
    2018年04月18日 12:26
  • まき

    ご無沙汰しております。
    久しぶりに訪問させてもらいましたが、重い内容でした…
    ただ単純に皆んなが揃う日曜日が好きだった私は、恵まれた子ども時代だったな、と。

    長らくお休みしておりましたが、らブログ更新致しました。これからもよろしくお願い致します。
    2018年04月18日 15:44
  • olived

    私には考えられないような壮絶な少女時代を過ごしている中でも、ご自身が大好きと思える日曜日があって良かった。。。その後、私には到底想像できないほどの虐待に耐えて、本当に良く生きてこられましたね。涙が溢れてきます。
    今 自由を謳歌し平穏に生活することが出来ていて良かったです。
    2018年04月18日 20:40
  • アールグレイ

    お母様が逝かれるまで、壮絶な経験をされてきたのですね。
    今を楽しく謳歌されているということに、ホッとした思いもすることです。
    2018年04月18日 20:50
  • r-chemst

    大変な人生を過ごされてきたのですね。それと比べると自分のほうがまだましかなと思ってしまいました。今後はよい人生になることを祈ります。
    2018年04月18日 21:46
  • johncomeback

    拙ブログへコメントありがとうございます。
    僕は小学5年で実父が他界、生活保護を1年半受けて母が再婚。
    義父とは葛藤があり自分は不幸だと思っていましたが・・・
    ぼんぼちぼちぼち さんからすれば恵まれていましたね。
    2018年04月18日 22:28
  • ぼんぼちぼちぼち

    みなさん

    こうして振り返って見ると 自分の27歳までの人生は壮絶だったなぁと思いやすが、子供の頃は多かれ少なかれ多くの子があっしと似たような親を持っていると漠然と思っていたので
    自分がそんなに不幸だという自覚はなかったでやす。
    むしろ逆に、他の子に対して、愛人さんを囲えるほどお金を稼げないなさけないお父さんで可哀想だな と思ってたくらいでやす。

    18歳から27歳が最も辛い時期でやしたね。
    というのは、世間一般というものを知って、自分はどれほど世間とかけ離れた生活を強いられているかが解かったから。
    以前記事にも書きやしたが、母親の命令で画家になり、寝る間も食べる間もなく働いて 収入の殆どを母親に持って行かれ、普通の女の子がやっている青春らしい楽しいことは何一つとしてできやせんでやした。
    成人式にも行かせてもらえやせんでやした。

    母親が死んでから、やりたかったことをひとつひとつやってきて、今現在はもう人生に悔いはないというくらいにやりつくしやした。
    あっしはもういつ死んでも悔いはないでやす。
    2018年04月19日 11:18
  • 海市

    大変な経験をされていたんですね。ドラマのような世界が本当にあるのだと、とても驚きました。
    ぼんぼちぼちぼちさんのブログは、拝見させて頂く度に驚きばかりです。
    2018年04月19日 16:57
  • ぼんぼちぼちぼち

    海市さん

    今こうして大人になってみると、あっしんちのような家庭は極めて稀なのだと解かりやすが
    子供の頃は、どこの家庭も程度の差こそあれこんな感じだろうと漠然と思ってやした。
    逆に、うちの父ほどお金を稼げないお父さんを持った子は可哀想だと思ってたくらいでやす。
    なんて不幸で不運な人生前半を過ごしてしまったんだろうと 客観的に知ったのは、30代半ばくらいでやすね。
    2018年04月20日 10:46
  • 暁烏 英(あけがらす ひで)

    う~ん、返す言葉が浮かばない体験でしたね。これを読むと自分はいかに幸せだったかが理解できます。
    自分の母は10代前半に、実母と生き別れ(子供を置いて出て行ってしまった)、幼少期を親戚の家で苦労して過ごした経験から、自分の子供たちに一度も叱ったことがありませんでした。
    あなたが、逆境にめげず生きてきたことは精神的に私より数倍強いんじゃないかな。幼児期に親から虐待を受けた子供が大人になると親と同様になると心理学者は言ってるけど極論だよね。
    2018年04月24日 13:01
  • ぼんぼちぼちぼち

    暁烏 英(あけがらす ひで)さん

    心理学者の言うのは虐待の連鎖ってやつでやすね。
    あっしの場合は、子供のときから「子供を作ったら男も女も不幸になるんだ」と思い続けて来て
    結婚願望はありやしたが、絶対に子供だけは作るまい と誓って生きてきやした。
    今も、子供を作らなくてほんとうに良かったと思ってやす。
    つきあいで他人の子供と接する機会というのがたまにありやすが
    小さい子供や赤ん坊とどう接してしいいのか解からないでやす。
    2018年04月24日 13:54
  • い〜予感

    5年ぶりに訪問させていただきました。
    ぼんぼちぼちぼちさんの短歌や語りが多面的で陰陽があるのは、そのような体験を経ていくつもの視点をもっていらっしゃるからなんですね。いつもぐっと引き込まれます。
    何が不幸か幸福で、何がラッキーかアンラッキーかは人でなく自分自身が感じ取るものだし、死ぬ寸前まで分からないものだと思っています。
    きれいごとを言っていたらすみません。
    2018年04月24日 23:17
  • ぼんぼちぼちぼち

    い~予感さん

    お久しぶりでやす。
    そう、時々「そんな状況の中でいくら上等のステーキやすきやき食べても美味しくなかったでしょう。貧しくても和気あいあいと食べるメザシや肉じゃがのほうがずっと美味しいんだよ。そういう味を知らないなんて可哀想だね」と言ってくる人がいやす。
    でも、あっしが食べてたステーキやすきやきは美味しかった。
    美味しいものを食べることやいっぱい父からおこずかいを貰ったことが大きく癒しになってたんでやす。
    そういうことを言ってくる人って、そう発言することで自分の家が貧しかったことを肯定したいのだと思いやす。
    仰る通り、何が幸福で何が不幸せかは、他人ではなく自分自身が感じとるものだと思いやす。
    2018年04月25日 11:39