そんな自分が、救われ 細胞の一つ一つまでもが 得も言われぬ幸福を感ずる時がある。
それは、複製不可能な己れという鍵に探しあぐねていたピッタリの鍵穴を発見した という程に、この人物は自分にとって特別だと思える表現者に遭遇し その作品に浸る時である。
今までの人生の中、自分は 計五人の 特別な鍵穴の表現者に出逢ってきた。
中学の時に、短歌 演劇 映画と 多方面で独自の世界を展開させた 寺山修司氏に。
二十代で、映像界の巨匠 松本俊夫氏に。
三十代で、同じく映像の 塚本晋也氏。
そして、数年前に 作家 車谷長吉氏を知った。
ふとしたきっかけで手に取った 代表作「赤目四十八滝心中未遂」を読み終えた瞬間、本を閉じ 顔をあげると、氏は 自分の四人目の特別な表現者の場所に立っておられた。

私小説というものは、己れの内臓深くに刃をつきたて 生臭い臓物を引きずり出す行為だと 自分は思っている。
時々 自己弁護とエゴイズムで包装に包装を重ねた私小説なるものに遭遇するが、ああいったものは 読んでいて 胸やけがするだけである。
人間には 無論 それらの感情がついてまわる訳だが、そんなことは 飲み屋のホステスや人のいい友人にでも吐くのが相応しい。
趣味の世界にとどまる日曜文士ならまだしも それで金を得ようというプロの物書きなら、作中の「私」に弁護させるのではなく 「私は こんな風に自己弁護してしまう人間です」と白状し、エゴイズムを 作中の「私」に 美しい言動として終結させるのではなく 「私はエゴイズムのために こんな言動をとってしまいました」と さらけ出すものだと思う。

車谷氏は 自身の臭い立つ内臓のひだの一枚一枚を たどり めくり 広げ、彩度 明度共に どろりと鈍らせたような 独特の 古めかしい文体で 「ほら、これが私なのです」 と 淡々と 見せつけてくれる。
人を振り向かせ 身動き出来ぬほど魂を奥底から掴み そして救い上げる表現者は、他者に残酷であるだけでなく 何よりも 自己に残酷なものである と 改めて思い知らされる。
「赤目----」を完読した次の日、自分は 氏の作品を 小説 随想 全て買いそろえ、息もつかずに読破していった。
やはり 車谷長吉氏は、「自分にとって 四人目の鍵穴の表現者だ」 と 深いため息とともに 作品を胸にかかえ揃えた。
自分の精神の飢餓が また一つ 大きく救われた。
この記事へのコメント
hatumi30331
彼独特の回答に感心しきりです。(笑)
自分はいつも死ぬ事を考えている・・・。
貧乏の話しや、その他・・・個性溢れる方ですよね。
自分をさらけ出しながら、相手も癒して行くような所がありますね。
恐い物なんか何もない・・・強い方かもしれませんね。
妻が恐い!ってよく言われてますが・・・(笑)
ぼんぼちさんが好きだというの・・・分かるような気がします。
自分をしっかり持ってる人がお好きですよね。
表現者・・・ですね。 ぼんぼちぼちぼちさんも、すばらしい表現者だと思います!(笑)
toyo
白洲正子女史の本で車谷氏の存在を知ってから何冊か読んでみましたが、
まあその徹底的な超マイナス思考に魅入られました。氏の本はどれもフグの毒より強烈だと思いますので、くれぐれもご注意くださるように。
あ、ぼんぼちぼちぼち 様ならその毒も相殺しそうだから心配ないでしょうね(笑)失礼しました。
かずっちゃ
いつになるかわかりませんが、また復活したいと思ってます。
その時はまたよろしくお願いします。
お体に気をつけてくださいね。
それではまた!
thisisajin
ぼんぼちぼちぼち
朝日新聞 あっしは読んでいないのでやすが
氏がそういうお仕事もされていることは知っておりやした。
そう、あっしは 自分というものをしっかり持った内向する表現者が好きでやすね。
いや・・・あっしなんぞは しがない自己満足の日曜文士なので
チリやホコリみたいなもんでやすf(◎o◎)
ぼんぼちぼちぼち
toyo さんも車谷氏をお好きだということは
以前 toyo さんのブログにて知り それ以来
ちょっと親近感を感じておったあっしでやす(◎o◎)b
するどいご指摘ありがとでやす\(◎o◎)/
そう、あっしはどうも、ひとくせもふたくせもある表現者じゃないと魅力を感じないのでやす・苦笑。
毒をもって毒を・・・といったところでやしょうか(◎o◎)
ぼんぼちぼちぼち
へい、わかりやした(◎o◎)
かずっちゃさんも 充実したプライベートをお送りくださいでやす(◎o◎)/
ぼんぼちぼちぼち
それ 聴いてみたかったでやす\(◎o◎)/
氏が話される様子 想像つきやす。
あっしはそれを聴いたら 間違いなく
もっともっと氏のファンになると思いやす。
わんわん2号
たしか安原顕さんがオススメしていたような記憶があります。
よいこ
そんな私小説を書かれていらしたのですね。
確かに自分をさらけ出しながらの異質な回答をなさいますよ。
b.b.mk2
実はあっていないのに "おおっ、これぞ!" と自己催眠をかけたりして
かなしいことです
tamanossimo
今手元に無いんだけど、
この女性が超美人で「うちなぁ朝鮮人なんよ」みたいなセリフ・・・
なにもかもが怖くて、ドキドキするわ~♪
楓〇
ところで、あう鍵穴に出逢うことは
滅多にないかもしれません。
出逢った時は感動しますね。
また、反対に自分の思考にはなかったことが
書かれている作品に出逢った時も
「目から鱗」のような感動を覚えます。
ぼんぼちぼちぼち
読まれやしたか!
やはり あっしを含めて どこか屈折したものを持つ人が 氏の作品に強く惹かれる
というのはあるように思いやす。
ぼんぼちぼちぼち
朝日新聞で知っている というかた 多いようでやすね。
氏は 私小説作家でおられるので
作中の「私」は 氏 御自身である場合が殆どのようでやす。
あっしは、氏の あの時代に逆行する文体も とても好きだったりしやす。
ぼんぼちぼちぼち
合ってもいないのに自己催眠・・・それ あっしも以前はよくやってやした。
多数派が好むものを自分は好きになれないのは すごくいけないことに思ったりしていたので。
でも、無理しても自分が苦しくなるだけで
結果 好きになれないものは どんなに自己暗示をかけても好きになれないので 止めやした。
今はこうして 開き直り人生でやす(◎o◎)b
ぼんぼちぼちぼち
おぉ! 「赤目---」一番好きでやすか\(◎o◎)/
そう、あの打ち明け話の件り 惹かれやしたね。
「うちら 泥の粥すすってきて・・・兄ちゃんは遠足行かれへんで・・・」って。
ぼんぼちぼちぼち
そうでやすね。めったーにないでやすね。
あっしも この 決して短くはない人生の中で
いろんなジャンルをひっくるめて5人でやすW(◎o◎)V
「目から鱗」の感動も 人生の中でとても有意義さを感じやすね(◎o◎)b
そらへい
あんまり見つめると、とても穴ぼこ、修復できそうにないように思えます。
鍵穴に会う鍵を見つける喜び
ニヒリストになったみたいに、最近、忘れている気がしました。
ぼんぼちぼちぼち
あぁ 確かに 自分を見つめすぎると穴ぼこ 目立ちやすね。
あっしは見つめすぎて 完全に修復不可能でやす。
しかし、あっしにはそういう生き方しかできやせん。
最近 忘れておられやしたか。
ニヒリスト という言葉に「しんじく・なるしす」のマッチのデザインを思い出しやした(◎o◎)b
半世紀少年
ぼんぼちぼちぼち
是非(◎o◎)b
第119回直木賞作品でやす。
あっしは 読み終えた時 くわ~んと
精神のカウンターパンチをくらったような衝撃にみまわれやした。
recchu
もうわたしのような立場というか環境になると
新しい分野(新たな分野というのではなく、狭く偏った”好みのジャンル”の中の)を開拓して新たな出会いを得るようなこともなかなかないので、
やはり今はこうして皆さんのところで刺激や興味を得ることが多いわけで…
ぼんぼちさんがカウンターを喰らうような作家さんがた、
リストに入れさせていただきますぅ!
(あ。ボクシングの長谷川はすごかったですね~)
私も内面をさらけ出すタイプの表現者を好みます
葛藤していて内向的でマイノリティでそこに痛みのようなものがあればあるほどなぜか惹き込まれます^^;
創るということは遊ぶということ
創るということは狂うということ
役者は肉体をストリップする
ライターは精神をストリップする
倉本聰氏のことばが過ぎりました~
いずれにせよ、内面を表現するには勇気というかも必要ですよね
そういうガッツリした精神世界に、確かに飢餓感あります
現実の世界に求めることとは矛盾するんだけど。。
ぼんぼちぼちぼち
やはり 内面をさらけ出すタイプの表現者を好まれやすか、嬉しいでやす\(◎o◎)/
そう、内面を表現するには とても勇気が必要だと思いやす。
そういう生々しい部分は見たくない という読者もいると思いやすが
あっしは それでこそ表現者だと考えてやす。
青山実花
「赤目四十八滝心中未遂」、
たった今、図書館に予約を入れました。
たぶん来年、一番最初に手にする本になるかと思われます。
(今借用している本が随分あるので(笑))。
一口に本好きと言っても、
私の場合、
どうしても似たような著者に偏ってしまいがちですので、
このように本が紹介されていると、
とても嬉しくなります。
ありがとうございました。
ぼんぼちぼちぼち
こちらこそありがとうでやす。
あぁ、あっしも偏ってしまいやすね、文学も映像も。
図書館に行っても 気がつくと 似たような方向性のばかり
手に取ってしまってやす。
「赤目---」読まれたら 感想などを聞かせていただけると嬉しいでやす・ぺこりっ。