芥川龍之介の作品に 「少年」というものがある。
氏が 自らの幼い頃に立ち戻り 子供の視点で観た世界を オムニバス形式で構成させた 私小説である。
その中、映画でいうと タイトルが出る迄の 冒頭のシークエンスに相当する第一話は 「クリスマス」という、バスの中で 外国人宣教師と少女との微笑ましい出来事に遭遇し 自身も幼い頃は----- と 二話以降を展開させる為の きっかけの章なのであるが、芥川は ここで 極めて初歩的な「うっかり」に 気付くことなく 作品をあげてしまっているのである。
「昨年のクリスマスの『午後』」 のこととして 話は始まっており、中程でも 少女は 「今日は もう家に帰るところなの」 と答える。
しかし、ラストでは 「少女は 夕飯の膳についた父や母に『けさ』の出来事を話しているかも知れない」 とある。
場所や人名や時刻などの設定を 「こうしよう・・・いやいや、やはり こうしよう」 と小さく逡巡するのは、一流のプロであれ 単なる素人であれ 物を書く人間に 必ずといっていいほど あることである。
設定が自身の中で最終決定したら 言わずもがな つじつまを合わせる作業にかかるわけだが、氏は それを直し忘れているのだ。
自分は、氏の このうっかりを発見した時、己れの心が 何か 心地よく温かい温水に放たれたような 安堵を感じた。
その脳髄は 通常の人間より大きかったが為に 幾多の秀作を残せたのに違いない という逸話もついたほどの 天才文士である。
その天才文士が このような初歩的なうっかりをしていたとは、氏が生前 踏みしめていた場所は それまで自分が思い込んでいた遥かな雲上よりも 少ぅしだけ 自分のいる地面に近い場所であったように思われた。
稚拙で無手勝流の 自己満足に愉しんでいるだけの日曜文士の自分も、こうして書くことが 天から許されているように思われた。
この記事へのコメント
NONNONオヤジ
ぼんぼちぼちぼち
えっ! そうなんでやすか。しかも多々。
フランス人の読者のかたがたは、そういうとこ 気にならないんでやしょうか(◎o◎:
miyake
トモミ
ぼんぼちぼちぼち
あっしも暗中模索の中に書いておりやす。
お互い 良い文章が書けるよう 楽しくがむばりやしょうでやす\(◎o◎)/
ぼんぼちぼちぼち
今、記事読ませていただきやした。
まさに うっかり でやしたね、失礼ながら笑ってしまいやした。
学生さん達もそれを知ったら、ここであっしが芥川に思ったような近しさを感じるかも知れやせん\(◎o◎)/
minamo
思っていましたが、そんな初歩的なミスがあったなんて。
人間が生み出す文章表現って面白いですね。
ぼんぼちぼちぼち
そう、極めて初歩的なミスでやす。
あっしが この話を友人にしたところ
「へぇ・・・でもさぁ、編集の人間は それに気づいて指摘しなかったのかな。 かの芥川センセイだから怖くて指摘できなかったのかな」
と 言いやした。
あっしは、友人に言われるまで 編集云々までに思いを巡らせることはできなかったのでやすが
それを聞き
「あー なるほど、編集者 気づかなかったのか 怖くて言えなかったのか???」
と 思いやした。
そらへい
変わっていたことがありました。
作者のミスなのか誤植なのかわかりませんでしたが
あの鋭利な芥川龍之介でもそんなことがあるんですね。
人間らしくてホッとする話ですね。
レン
つい油断してしまって、自分の仕掛けた罠に
自分が引っかかることって、よくありませんか^^
b.b.mk2
確かに親しみを感じてホッとしますね。
そのむかし、またかよ!と度々思いながら読んでたのは龍(村上)氏(笑)
それでもおもしろかったんですけどネ
yoko-minato
本の中のつじつまの合わない記述を
見つけるのは凄いですね。
そういえば最近あまり本を読まなくなりました。
若いころは本の虫のようだったのに・・・
ぼんぼちぼちぼち
一か所だけ違っているのではなく 途中から以降ずっと
というのは やはり うっかりかも知れやせんね。
菊池寛氏も・・・。
みんなみんな人間なんでやすなぁ\(◎o◎)/
ぼんぼちぼちぼち
あー、それ あるかもでやす。
人生、油断大敵でやす(◎o◎:
ぼんぼちぼちぼち
村上龍 恥ずかしながら 読んだことありやせん。
結構 色んな作家さんが うっかりをされているんでやすなぁ。
あと、映画で おそらく脚本の段階ではきっちり書かれていたのでやしょうが
編集で つじつまの合わなくなってしまっている というものを 時々観やす。
ぼんぼちぼちぼち
自分が稚拙ながらも 物を書くようになってから
そういうことに敏感になったように思いやす。
日々の生活が忙しかったりすると あまり読まなくなってしまいやすよね。
伊閣蝶
記事を拝見していて、コナン・ドイルのシャーロックホームズシリーズの無謬性(こじつけ)を思い出してしまいました。
一流の作家といえども「うっかり」はかなりあるはずで、それを面白がるどころか、一つのゲームにしてしまう人々も存在するのですから、世の中は本当に面白いものだと思います。
galapagos
standard55
あり、それによって無意識に「けさ」と書いてしまったと想像すると、氏が
普通の人間と似たような心理を持ち合わせていた事にとても親近感を
覚えます・・・◎
あら
ぼんぼちぼちぼち
コナン・ドイルは 読んだことはないのでやすが
色々な作家の作品を読んでいると
あー これ こじつけだなぁ と思うこと 結構ありやすね。
ゲームにまでしてしまうとは、ほんと面白いでやす。
ぼんぼちぼちぼち
あ、その作品 知らなかったでやす。
今度 読んでみやす(◎o◎)
ぼんぼちぼちぼち
そう、よく 下町ガイドブックに 文士の好きだった食べ物なんてのがのってて
それが庶民的なものであればあるほど 親近感を持ったりしてしまいやすが
こういった初歩的なうっかりも 実に親近感を持ちやすね(◎o◎)b
ぼんぼちぼちぼち
たぶん、最初 朝の設定で書き始め
途中で思い直して午後に変えていって ラストの一言だけを直し忘れたか
あるいは
これは私小説なので、実体験が朝で
しかし 小説としては 午後のほうがいいと そう書き始め
うっかり 最後で けさ と書いてしまったかのどちらかではないかと思いやす。
むらさき
本を読んで後、同じタイトルの映画を見ると、「え~~っ これじゃない」
って想う事が多いですもんね。文章って凄いです。 語彙が多いということは表現の引き出しがいっぱいと言うことですよね。
ミケシマ
微笑ましいですね^^
芥川の「少年」。今度読んでみます!
shige
訪問ありがとうございます!
hatumi30331
主人公の名前が、途中から変わってしまい・・・・
気付くのに大分かかりました。
私は、天才じゃないけど・・・・・よくあります。(笑)
うっかりだらけ!!トホホ・・・・・(涙;
ぼんぼちぼちぼち
小説が原作の映画を観てがっかり・・・って あっしも よくありやす。
脚本家 監督が、原作を理解した上であえて変えているなら 映像独自の いい方向に違う物になっていたりもしやすが
まるで理解出来ていないで創っているものには
ただただ原作者に対して気の毒に思はざるを得やせん。
あっしが一番好きな作家の一番好きな作品も 後者の目に合ってしまってやした・涙。
ぼんぼちぼちぼち
是非 読まれてみてくださいでやす(◎o◎)/
全体的にはとても解りやすく つい「子供の頃ってそうだったなぁ」
とクスリとしてしまう話の数々でやす。
ぼんぼちぼちぼち
こちらこそ ありがとーでやす。
ぼんぼちぼちぼち
そうでやしたか。
この人物はこういう言動をするだろうかとか 展開が後戻りしていないだろうかとか
そういったことには常に心を砕くものでやすが
人名などの基本的なことは 逆に うっかりしがちでやすよね。
akipon
「オレたちが書いてるのは、良くも悪くも日本語。どんなおっちゃんやおばちゃんでも読めてしまうから、それだけ突っ込まれやすいんだよ」と。
ぼんぼちぼちぼちさんをはじめ、文章書ける人を尊敬します。
辻褄を合わせるのって、ホント大変だと思います。
ぼんぼちぼちぼち
お知りあいのコピーライターのかたのお言葉、「なるほど確かに!」と 頷きやした。
あっしなんかは 好き勝手に書いているド素人に過ぎないんでやすが
つじつまをきっちり合わせるのは 難しくもありまた パズルのように面白いな とも思いやす。
春分
石ノ森○太郎とかならなんら不思議はないと思うところですが。
ぼんぼちぼちぼち
そう(◎o◎)b 芥川に限って!って思いやすよね。
石ノ森○太郎さんは うっかりの多いかたなのでやすか?
作品をよく知らないので ちょっとそこ興味ありやす。
Dandelion
ぼんぼちぼちぼち
そうでやすか。
あっしもこれを発見した時に どれほど元気づけられたか・・・о(◎o◎)о
楓〇
読みたくなってきました(^^)
ぼんぼちぼちぼち
是非\(◎o◎)/
読みやすくて くすっとしてしまう(あ、これは うっかり部分にじゃなくて 作品そのものにでやす)こちらも童心に帰って楽しめる小品集でやす。