リトルシガー片手にさようなら

以前、「リトルシガーのセルフポートレート」を公開した時に、作品的には成立しているけど暗い雰囲気だから公開しなかった、と書いた1枚、「そっちも観たい!」というリクエストが多かったので、この際、それを今回、公開します。 、、、というのは、ぼんぼちのブログ、今回の記事で最後だから。 SSブロガーのかたはみなさんご存知のことですが、SSブログ、来年の3月31日12時で終了、消滅してしまうんです。 他のブログに移行できるサービスも行われているんですが、私はキリのいいところで、今回の記事で終了します。 私は15年間、ブログを書き続けて来、その間、吐露したかったことを全て吐露しきりました。 ほんとうの私の全てを書ききりました。 なので、もう悔いはないのです。 古くから読んでくださったかたも、最近読者になられたかたも、コメントくださったかたも、検索で辿り着いて一度だけ閲覧してくださったかたも、みんなみんなありがとう! ぼんぼちぼちぼちは、このブログを通して、たくさんの方々に、ほんとうの私がどういう人間であるかを知っていただけて、心の膿の絞り出し作業に成功しました。 今はスッキリ!もぅ思い残す事は何もありません。 ありがとう!ありがとう!!そして、さようなら!!!

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中野の飲み屋街

中野駅北口のアーケードの一つ東のごっちゃごちゃした飲み屋街。 洒落た新しいカフェも出来たりしてやすが、大半が、古い大衆的な呑み屋や食べ物屋さんでやす。 どうっていうことのない写真でやすが、あっしの大好きな小路なので、撮らずにおれやせんでやした。 ぼんぼちはねぇ、こういう古くて大衆的な店や路地が大好きなんでやすよ。 昔ながらで心が落ち着きやす。 なので、最近の、タブレット注文の店やセルフレジや紙コップで出してくる大手チェーン店のコーヒーショップは苦手なんでやすよ。 物理的に対応は出来やすが、心がついてゆきたくないない感じ。 なんか、やってるとストレス溜まるし。 ストレス溜めてまで、そういう店にお金払いたくはないんだなあ。 もっと言うと、心が拒否する感じ、、、なんでやすよねぇ。

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今の私は桃源郷にいる気分

私・ぼんぼちは今、まるで桃源郷の高台のど真ん中にいる気分である。 心地良いそよ風が頬を撫で、うららかな陽光が私をいっぱいに包み、高台にはとりどりの花々が咲き乱れているーーーそんな気分である。 このような最上級の幸せに至る事が出来たのは、十年前からである。 この十年間、私は、桃源郷の高台を、スキップし、飛び跳ね、くるくると回り、幸せを満喫してきた。 食べたい物を食べ、行きたい所へ行き、欲しいものは何でも買い、したいお洒落をし、眠りたい時に眠り、を十年間、続けてきた。 だからもう、今は、何もかもに気が済んで、高台のど真ん中に両手を広げ、悠々と立っている心持ちである。 この桃源郷に辿り着くまで、私は地獄のどん底にいた。 物心ついた時から毒母による心身ともの虐待を受け、やりたくもない画家の仕事をやらされ稼ぎを全てふんだくられ、顔の醜さに世間からゴミさながらの扱いを受けていた。 それが、一掴み、一掴みと、茨の路を這い上がり、つまりは、運命と私自身の血を吐くほどの努力あって解決出来、そして十年前の五十ニ歳で、ようやっと、何もかもが幸せで、不快な事が皆無の桃源郷に到達できたのだ。 私は地獄を知っているから、この先、如何なる理由であろうと、ずるずると桃源郷の縁から指先をしがみつかせつつ、ずり落ちてゆきたくはない。 そんなふうになるくらいなら、この桃源郷のど真ん中で、このまま「あー!幸せーーー!!!」と独白しながら、大の字に寝、その状態で息を引き取りたい。 否、絶対にそう…

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ブルーなクリスマスディスプレイ

去年のクリスマスディスプレイの写真が、ほんわかキラキラだったので、今年はあえて、暖色系だったディスプレイにネガ加工をかけて、ちょっと寂しげなブルー系のクリスマスディスプレイにしてみやした。 へえ、こんなクリスマスディスプレイの写真もアリなんだねぇ、くらいのノリで観ていただけたら本望でやす。 ぼんぼちは、クリスマスパーティが大好きでやす。 仏像を鑑賞するのも好きでやす。 神社の境内で、梅の花の香りを嗅ぐのも好きでやす。 だけど、ぼんぼちは、無宗教者でやす。 いずれでもいいよ〜の無宗教者ではなく、ハッキリキッパリとした。 だから、ぼんぼちが死んだ時には、キリスト教式でもなく、仏式でもなく、神式でもなく、「無宗教者の無宗教葬」として片付けていただきたいでやす。 これ、まじ、重要!!!

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私にとっての映画というもの

みなさんは、「映画」というものは、どういうものだと定義されていますか? ーーースクリーンの中でお芝居が展開されるもの。 おそらく、そうお答えになる方が多いでしょう。 けれど、私は少し違います。 ーーー画に時間軸が加わったもの。 そう答えます。 勿論、スクリーンの中でお芝居が展開されるのも、私が答えた中に含まれるのですが、私は映画というものは、もっと大きく一歩引いた位置から俯瞰して作るものこそだと考えています。 この考えは、漠然とですが、幼稚園生の頃からありましてーーー 幼稚園生の頃、観ていた映画というのは、家のテレビで、夜の9時になると毎日始まる○曜洋画劇場なる、アメリカやイタリアやフランスの商業の劇映画でした。 又、私が怪獣好きなのを知っていた父に、劇場にゴジラ映画に連れて行ってもらった事もあります。 けれど、幼い私の中には、漠然と、本当に漠然となのですが、こういう思いがありました。 ーーーなんか、こういうのばかりが映画じゃないんじゃないか、、、??? その時思った「こういうの」というのが「スクリーンの中でお芝居が展開される」という事なのだとハッキリと認識出来たのは、中学生になった時、寺山修司氏の短編実験映画集を観た時でした。 ーーーこれこそが映画だっ!! と、色めきたちました。 寺山氏は、スクリーンの中でお芝居が展開される映画ではなく、大きく一歩引いた位置から、映画とは画に時間軸が加わったものーーーという視点から作っていたからです。 それ以降、…

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